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伊藤潤 個展 現自点

  • 2020年7月2日
  • 2022年8月29日
  • 美術

自宅1階(名古屋市千種区松軒2-4-23) 2020年6月27日〜7月5日(2日は休み。開場は正午で、3日は午後5時まで、4、5日は午後7時まで)

 伊藤さんの作品を見るのは初めてである。1984年、名古屋市出身。名古屋市立大学芸術工学部・大学院で視覚情報デザインを専攻し、グラフィックデザインを学ぶ一方、在学中から、ドローイングなどの作品制作を進め、就職後は、会社員として働きながら描いている。作品の発表は、2007年から、市民ギャラリー矢田などで続けている。

伊藤潤

 今回の作品は、主に2018年以降に制作した絵画のシリーズで、全てが人物の顔をモチーフにしている。写実的に描いているわけではなく、縦に垂直に走る線でイメージが分割され、その分けられた1つ1つが前に迫り出したり、逆に奥に引っ込んだりしながら、全体として1つの顔のイメージが形作られている。

 作家本人に聞くところでは、こうした縦の仕切り線は、学生時代にコマ撮りでドローイング・アニメーションを制作・発表したときに、スクリーンに段差をつけて動画を投影した際の映像インスタレーションの見え方から、ヒントを得た。正面から見れば統合されたイメージが、移動しながら別の方向から眺めると、分断され、空間性が強調されるあり方に興味を持ったのである。

潤

 絵画自体が、実体のないイメージを画布などに投影しているようなものなのだが、伊藤さんの作品では、顔のようなイメージがイリュージョンを生みだしているといっても、そこにあらかじめ段差のある不可視の空間が仮構されていて、実在のない映像(光)がスクリーンの段差によって分断され、空間性を強調したように、顔は仮象的なイメージに過ぎず、むしろ、そのイメージによって背後に別の空間があるようにも意識を向けられるのが面白い。

 筆者は、最初、伊藤さんの絵を一瞥したとき、キュビスム的な印象を受けたが、むしろ、仮象と不可視の空間のレイヤーを意識させる作品である。伊藤さんの絵画は、映像(光)から来ている。見えないレイヤーに投影されるイメージの分断によって、空間とそれに伴う時間を意識させる絵画空間の創出を目指している。

伊藤潤

 この顔は、伊藤さん自身がモチーフになっているが、当然ながら写実的な意味での自画像になっていないし、むしろ、顔のイメージは、制作と思考の実験場として借りられているに過ぎない。

 自画像を描く際に自分と向き合うというのは、よく言われることだが、伊藤さんの場合は、それによって、自分自身や人間をテーマにしているというよりは、自分の姿を、絵を描くときのルールとして設定している意味合いのほうが強く、メッセージや思いを表現している要素はほとんどない。

 もっとも、分断されたスクリーンに投影されたような仮象的な顔の、複雑な見え方、錯綜したイメージが、人間の分からなさ、奥深さ、不気味さを想起させるのも確かである。それでも、伊藤さんは、絵画に意味を込めるというよりは、あくまで絵画そのものを主題に据えている。

伊藤潤

 支持体は、工業用の不織布や厚紙が主で、ドローイング的な小品は和紙を使っている。そこに、アクリル絵の具、屋内用の水性塗料、建築用墨汁(建築現場で基準線を引くときに使われる)、スプレーペイントなどを駆使して描く。伊藤さんは、一般的な画材のみならず、さまざまな塗料や、左官用のこて、長い棒の先に不織布を巻き付けた自作の道具なども使って試行錯誤を重ねる。

 そうした傾向は、ドローイング風の小品になると、より顕著で、伊藤さんは、絵の具の塗りのテクスチャー、道具と手の動きによる線、はね、筆触の現れなどを実験しながら、イメージが頭部に近づくように描いている。

伊藤潤

 同時に、興味を覚えたのは、伊藤さんの作品に対する意識である。美術大などで絵画を専門に学んだわけではないこともあって、描くこと自体に謙虚でストイックである。自分が好きで自分のために描いているだけだという意識が強い。描くことが、自分と向き合うこと以外に目的をもたない。自分はアーティストであるという強い自意識もない。働きながら、家族とともに自由に生きる折り合いを付けている。絵を売ることにも興味はなく、自分の中だけで完結している。

 筆者は長年、美術家をはじめとするクリエイターにインタビューをしてきたが、ここまで言い切れる人は少ない。同じ趣旨のことを言っても、美術業界での評価や、価格抜きでは制作できている人は少ないし、なんの世界でも、そうした「業界」で物事は成り立っている。

 描くのが何より好きだが、静かに淡々と打ち込んでいる、自由に、楽しく、自分と向き合っているというのは、とても好感のもてる制作のありようである。自宅で見せるのも、そんな伊藤さんと絵画との関係を表している。

 会場は、地下鉄・今池駅から環状線を北に歩いて15分。自宅スペースながら、ギャラリーと言ってもいいほど高い天井と壁面のある、なかなか格好の良い空間である。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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