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石丸圭汰「free hand」FLOW(名古屋)で7月23-31日

PHOTO GALLERY FLOW NAGOYA(名古屋) 2022年7月23〜31日

石丸圭汰

 石丸圭汰さんは1997年、福岡県北九州市生まれ。佐賀大学芸術地域デザイン学部で学び、2022年、佐賀大大学院地域デザイン研究科を修了した。現在も佐賀県を拠点に制作している。

 油彩画を中心に発表した後、映像など絵画以外のメディアも使いながら、絵画、対象(外界)とイメージ、視覚、触覚などへとテーマを広げている。

 2022年夏には、仲間と佐賀市内にアート・スペース「ツー・バウンス」を立ち上げるなど精力的に活動している。

石丸圭汰

 石丸さんは、もともと写実的な絵画を描いていた。コロナ禍で意識せざるをえなくなった他者や対象との距離感を作品に取り込む中で、見えない壁としての透明アクリル板を絵画の画面に押しつける平面作品を発表した。

 こうした展開から、従来の絵画の延長に、静物、風景という外界とイメージ、距離や、接触 / 非接触などの問題意識が生まれてきたのだろう。

 既に、絵画のみならず、写真や映像など他メディアを横断するような発想になっている。

「free hand」

石丸圭汰

 絵画と、イメージ(写真)、映像の関係を探ったような作品である。

 会場の真ん中の台に、3つの映像が設置されている。そのうちの2つは、静物画がモチーフになっている。

 映像の中の《もの》は、洗濯バサミや野菜、スマホなど平凡な物で、静止画像のように動かないので、まさしく静物といっていいイメージ(写真)である。

 実は、この静物の前に透明なアクリル板が立てられているが、映像を一瞥するだけだと、その存在は分からない。

石丸圭汰

 映像を見ていると、時折、画面に筆が現れ、それぞれの《もの》をトレースするように、前に置かれた透明アクリル板に色が塗られることから、空間を隔てた透明なレイヤーの存在を知ることができるのだ。

 ブロッコリーなら緑、ミニトマトなら赤、洗濯バサミは青、ビニールテープは黄というように、粗いタッチで色が塗られる。

 最初は、《もの》に直接、絵具を塗っているのかと思うが、筆の滑らかな動きから、そうではないことに気づく。

 対象の静物の手前にあるアクリル板が支持体であるが、写真や映像のモニター画面に塗っているような錯覚もある。

石丸圭汰

 アクリル板は、それぞれの色ごとに変えている。会場には、映像とともに、《もの》をなぞるように緑、赤、青、黄などの色を載せたアクリル板が展示されている。

 それぞれの色をわずかに載せた筆触にすぎないが、対象となる静物を描いた画のレイヤーを分解したものだともいえる。

 対象との間に置いたアクリル板に描くという行為には、対象を手前のポリエステルフィルムにトレースするなど、絵画とイメージ、視覚、光学、身体との関係を探究した画家、設楽知昭さんに通じるものを感じた。

 もっとも、設楽さんが絵画とイメージの問題を身体あるいは、内面や夢との関係で探究したのと比べると、石丸さんは、現実世界と絵画や写真、映像などのメディアのイメージ、レイヤーと物質について考えているように思える。

石丸圭汰

 それぞれのアクリル板にある絵具の筆触は、見えない支持体としてのレイヤーに対して、とても物質的である。 

 別のタイプの作品として、透明アクリル板に塗った黒い絵具の筆触をカメラにかぶせて撮影した映像作品もある。

 先に述べた静物画の作品が、現実の対象の絵画的イメージからレイヤー上の筆触そのものを抽出したとすれば、この作品は、逆に、絵画的な筆触を現実世界のイメージに暴力的に介入させた作品である。

 シンプルながら、今後の展開が楽しみな若手である。 

 最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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