なうふ現代(岐阜市) 2022年4月9日〜5月1日
伊村俊見
伊村俊見さんは1961年、大阪府生まれ。金沢美術工芸大彫刻科卒業。多治見工業高校窯業専攻科修了。
黒陶のオブジェを追究し、国際陶磁器展美濃陶芸部門グランプリ、信楽陶芸展大賞、長三賞陶芸展長三賞などを受賞。「非情のオブジェ—現代工芸の11人」(2004年、東京国立近代美術館工芸館)など、美術館の企画展にも選ばれている。
2021年の「美濃からの発信 やきものの現在」では、岐阜・多治見市文化工房ギャラリーヴォイスで、展示に加えて、これまでの作品展開について語った。
伊村さんは、大学では彫刻を学んでいる。彫刻が量塊性をもつのに対し、 陶芸では、内部に空洞があるという認識が伊村さんの制作のベースにある。
初期の「虚」のシリーズから始まり、オブジェの外部 / 内部の概念を捉え返し、土が延びることでつくられる「延」、さらには「覆」、袋状に閉じた形としての「嚢」へと、シリーズを展開させた。
「嚢」以降の制作では、素材の歪みやたわみはもちろんのこと、自然と人為によるさまざまな力、作用との関わりで現れる、うつろいゆく形の相を意識している。
いわば、堅固に構築するというよりは、空間の中で粒子が流動する変化の相を捉えたような、軽やかに揺らぐような形態に向かっているといえばいいだろうか。
2022年 なうふ現代
「虚」→「延」→「覆」→「嚢」と来た次のシリーズは、まさに「揺」である。
展示された作品の多くは、帯状の粘土がうねるようにつながりながら、中が抜けた、伸びやかな形である。
作品ごとに台座の高さを変え、台座の下の空間をあけているなど、展示の仕方、空間への配置も練られている。
どっしりとした感じはなく、むしろ、ふわっと、中空に作品が浮いている感じである。
見る位置によって、作品の見え方が劇的に変わるのが面白い。もっというと、作品が動いているように見える。
そうした作品の生動感もあって、変化していく一時的な形として、エフェメラルな存在感がある。つまり、スタティックに固まった物体というより、ある条件によって、いま、この形が現れているという印象を与えるのである。
もともと、伊村さんが制作する黒陶は、750度前後の低火度で焼成し、窯の中での変化に委ねるところが少ない。
学生時代に彫刻を学んできた影響が大きいだろうが、やきものに振り切ることなく、彫刻と陶芸のあわいで、フォルムをどう捉えるかという問題に関心を向けてきた。
もっというと、伊村さんの作品は一見、シンプルに見えながら、フォルムについて、美術と工芸の間での深い問いかけをはらんでいると思う。
焼成による土や釉の大きな変貌に伴う、いかにもやきものっぽいテクスチャーではなく、装飾、無駄を排した形と漆黒の光沢が結びあったところにある黒陶の魅力をどう引き出すかに、長く思考を重ねてきたのである。
土の可塑性を最大限に生かし、素材と対話を重ね、焼成による土から陶への変容を受け入れつつ、それがフォルムにとって過剰にはならないように注意深く造形している。
シンプルな作品ながら、空間に配置されることで、作家が託したものが静かに見るものに語りかけてくる。
近年は、作品が大きく変化している。流動感、揺らぎ、はかなさなどをまとった作品は、陶芸と彫刻のあわいにありながら、作者のよって立つところを訴えてくる。
これらの近作は、災害によって、人間が構築したものが一瞬に流され、形を失い、物質の状態を変えてしまうことへの伊村さんの眼差しから生まれたものである。
もちろん、陶芸作品なので、造形されたものではあるが、あたかも、それは、万物流転の中の1つのエピソードのようにそこに現れている。
モニュメンタルなものというより、土と水、手との接触、作用、身体、精神との関わりなど、自然と物質、相互の力関係、人間の意識、無意識などの諸条件によって、粒子の流れが形になって現れてくる感覚に近い。
伊村さんの作品は、どんどん軽やかになってきている。筆者は、青木野枝さんの彫刻を想起したりもした。
青木さんの作品は、重いイメージの鉄素材を使いながら、軽やかで、流れるようである。伊村さんの陶芸作品も、土素材を用いながら、重量を感じさせず、台座を含めて、空洞性が強く、浮遊感がある。
さきほど、伊村さんの作品は彫刻と陶芸の間にあると書いたが、素材の性質や焼成ばかりに委ねるのではなく(それらも尊重しながら)、伊村さんは、土を自分の手で形にする感覚も大切にしたいのだと思う。
今回の個展では、フラットな矩形の板を壁に展示したユニークな作品もある。
正方形に近い形だが、薄っぺらく、角はとれてカーブがある。縁は丸みを帯びて裏側へ入り込んでいる。視線を吸い込むような漆黒で、表面にかすかな起伏がある。
陶板には間違いないが、マットな表面に色彩も線もテクスチャーも、釉薬の変化も一切ない。
あるのは、ただの黒い平面と緩やかな起伏、縁の丸みである。ミニマルだが、深く視線を沈みこませる黒の空間だと言ってもいい。
二次元と三次元について、平面と立体について、物体と空間について、素材、そして彫刻と陶芸について、あるいは、それを超えたもの、見えないものについて考えた作品なのだろう。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)