2020年12月7日の朝日新聞(WEB)、共同通信(WEB)、佐賀新聞(WEB)などによると、反戦、反権力の立場で政治や社会の問題を題材にした「ルポルタージュ絵画」で知られる画家、池田龍雄さんが2020年11月30日、誤えん性肺炎のため死去した。92歳だった。
現在の佐賀県伊万里市生まれ。伊万里商業学校を経て、 1943年、飛行予科練習生として、鹿児島海軍航空隊に入隊。特攻隊に編入され、 茨城県の霞ケ浦航空隊で訓練中だった17歳のときに敗戦となった。
戦後、佐賀師範学校に入学して教師を目指したが、 GHQの通達により、 元特攻隊員の経歴が軍国主義者と見なされて退学。教師の道は絶たれた。こうした権力と時代に翻弄された経験が、社会や政治へと目を開かせた。
戦後の1948年に多摩造形芸術専門学校(現在の多摩美術大)に入学。岡本太郎や花田清輝らの「アバンギャルド芸術研究会」に参加し、前衛芸術の道に進んだ。
特攻隊員の体験を元に反戦、反骨を貫き、1950年代に、 内灘闘争などの基地反対闘争、 三井三池炭鉱争議など、 実際の事件、政治問題を取材したルポルタージュ絵画の可能性を探り、ペン画も発表した。
人間のグロテスクな内面を見据えた「化物の系譜」シリーズも制作。60年安保闘争に敗れ、挫折感を味わった後は、政治的な作品から距離を置き、生命や宇宙の成り立ちを捉えた表現へと移行した。
70年代から取り組んだ連作「BRAHMAN(ブラフマン)」では、時間、宇宙、生命などの普遍的なテーマを追究した。
文学、演劇、映画など多様な分野の人々と交流し、多ジャンルと関わった。
2018年、東京・練馬区立美術館で、70年の画業を振り返る大規模な回顧展を開催した。
筆者は、取材での個人的な接点はないものの、「ねりまの美術’97池田龍雄・中村宏展」(1997年、練馬区立美術館)をはじめ、美術館で展示を見る機会は多くあった。
1998年、静岡県伊東市の池田20世紀美術館で、名古屋の画家、水谷勇夫さん(1922~2005年)の大規模な個展「終りから始まりから」が開かれたときには、水谷さんと交流があった池田さんがオープニングに駆けつけた場面に立ち会った。
また、1998年、名古屋の中京大学アートギャラリー「C・スクエア」での個展開幕直前に急逝した立石紘一(大河亞、1941~1998年)さんをしのぶ会が、個展初日に行われた際には、 池田龍雄さんは中村宏さんらとともに、その発起人を務めた。