See Saw gallery+hibit(名古屋) 2021年5月8日〜6月19日
See Saw gallery+hibit
パンジーの香り
池奈千江さんは1977年、愛知県生まれ。2003年に愛知県立芸術大学大学院美術研究科油画専攻を修了している。
パンジー、アマリリスなどの花、人物を淡い色彩、かすれたような筆触で描いている。油絵具で描いているが、とても柔らかい画面である。
ふんわりと、押せば向こう側へ流れていくような、あるいは風が吹き抜けるような感触である。
池さんが強調しているのが、手を加えすぎず、ドローイングのようにタブロー絵画を描くことである。
下地はジェッソ、あるいは白亜地。キャンバスだが、紙に描くのに近い感触で、薄く緩やかな筆触の流れ、ときにかさついたタッチが、蝟集することなく、柔らかく折り重なりながら、ゆらゆらと動いている。
モチーフのパンジーは、10年前の東日本大震災の後、アトリエに植えた苗が咲き乱れている光景が元になっている。
そのほか、実家に植えられていたアマリリス、あるいは友人などが基になっている人物も、身近な題材ではあるが、同時に普遍的なものである。
池さんが、絵画でないと出せない表面と空間を考えたとき、たどりついたのが、逆説的ながら、こってりと絵具を塗った絵画でなく、軽やかな筆触、さらっとした新鮮な風合いを大切にする、ドローイングのような作品だった。
それゆえ、画面は計画どおり構築されたものというより、はるかに即興的、偶然的な印象を与える。
なでるような筆の動き、軽いタッチが、思いがけず触れたように画面を来訪した感じである。
池さんが油絵具を使いながら、西洋絵画よりも、むしろ日本絵画を意識している点も見逃せない。
対象を陰影をつけて立体的に強く描くより、どちらかといえば装飾的で、キャンバスなのに紙に描いたように、さわやか、淡白な印象。絵画空間の奥行きは、さらりとした筆触の重なりで出されている。
そうして、筆触と筆触の間、花や葉とそれらが描かれていない空間が等価に扱われていて、形象が強く押し出されることはない。
つまり、画面が造形されていく中で、筆触と筆触の重なり、そして、それらの間合いがたゆとうように広がりながら、対象が見えるかどうかぎりぎりのところで成立している。
とりわけ人物がモチーフの作品では、人物の像を描いたというより、むしろ、周縁部を漂う筆触の流れが、空隙として対象を浮かび上がらせた印象さえする。
対象が周囲の空間と明瞭に分離されることのない、全体が浮遊して漂う、ゆらゆら動いているような画面である。
あらかじめ決めたイメージを目的に造形されるというよりは、舞い降りるような筆触が瞬間、瞬間、ダンスのように軽やかなステップを見せながら、明確な線や形をつくることもなく、その筆触自体が生を充実させているといった感じである。
それは、絵画を目指す目的に従属する筆の動きというよりは、まさに連続する瞬間の筆触のプロセスそのもの、その輝きが作品になったようなものである。
私たち鑑賞者は、生き生きとした瞬間の筆の動き、プロセスそのものを追体験し、揺れ、流れる筆触の中から、イメージをすくい上げることができるだろう。
それは、目的地に到達した絵画であるというよりも、設計図も地図もなく、筆でキャンバスに触れた偶然の瞬間が、ささやかだけれども意味を持ち、そうした小さな筆触や空間が息づくように、イメージを浮かび上がらせる絵画である。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)