YEBISU ART LABO(名古屋) 2021年6月19日〜7月25日
飯田美穂 個展
飯田美穂さんは1991年、愛知県生まれ。名古屋芸術大学を卒業後、京都造形芸術大学大学院芸術専攻芸術研究科ペインティング領域油画コースを修了している。
西洋絵画など、過去の名画を引用し、簡略化、抽象化するなど独自の解釈でイメージを変容させる作品で知られ、今回も、絵画や巨匠たちへの敬意がそこはかとなく感じられる展示空間になっている。
筆者は初見だが、アートフェアなどでは、コレクターの間で人気がある若手とのことである。
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今回は、個展タイトルにもあるように、主に制作年が1661年の絵画を引用した作品を集めている。
ただし、ドローイングに近い小品が多く、伸びやかな筆致が見られる作品は少なめである。
WEBサイトで見ると、もう少し発色がよく、いきいきとした画面の作品もあるようである。
その意味では、筆致がしなやかで、色彩や空間が柔らかなほうがこの画家の特長が生かせる気もした。
引用した画家は、有名どころでは、オランダのレンブラント、フェルメール。ほかに、オランダのハブリエル・メツー、フランス・ファン・ミーリス、英国の肖像画家、ジョン・マイケル・ライト、スペインのフランシスコ・デ・スルバランなどもある。
また、制作年は1661年でないが、ゴヤとアングルが引用されていた。
作家と直接話していないので、狙いなどは分からない。
人物の顔の部分を「∵」や数字にするなどの簡略化、記号化のほかに、全体に構図を図式化させ、タッチや色彩、形、質感も柔軟かつ大胆に変化させている。
作品のサイズも小さいので、オリジナルから異次元のものへと変わっているのがむしろ魅力的に映る。
作品が揺らぐように吊り下げたり、画面をレースで覆ったりと展示方法の工夫もあって、オールドマスターの作品を引用したといっても大仰な感じがしない。
つまり、過去の名画を引用したときの、これみよがしの麗々しい雰囲気がほとんどない。
厳格なルールやコンセプトに従ったというよりは、この画家の資質と言ってもいい緩やかさ、軽妙さ、自然体、かわいらしさが特徴である。
それでもなお、飯田さんの作品が、放縦な脱力系とばかりは言い切れないのは、過去の作品へのオマージュの残香を漂わせつつ、イメージの流用はほどほどに、作品から彼女らしさが強く立ち現れているからだろう。
それは、例えば、美術史や、引用元の作家性、文化的背景、歴史や、オリジナルとコピー、概念性などを後景に追いやるか、あるいは、深刻ぶらずにスルーしているそぶりを見せ、むしろ、軽やかに見る者を惑わせるような自在さと絵画への憧憬、信頼を両立させるような在り方である。
つまり、彼女にとっては、絵画の歴史への敬意とともにオールドマスターの名画と自分の思い、感性との交感的なやりとりをいかに絵画として成り立たせるかが自問されているのである。
コンセプトがちがちでない大胆さ、緩さ、人をくったような記号化や簡略化、色彩や筆致の変化の軽やかさは、巧妙とは言えないまでも繊細で魅力的である。
オリジナルへの生真面目な従属、窮屈さはなく、まさに小悪魔的な感性、想像力、イタズラ心を堂々たる古典絵画にぶつけて、見えてくるものを問い掛けている感じである。
今や、古典絵画のイメージは、インターネットでいくらでも掘り起こせる。
大胆に簡略化、記号化、図式化、あるいは自由な筆触で変容させた飯田さんの作品は、知的好奇心をくすぐるというよりは、絵画史のイメージを旅しながら、しなやかに遊び、自身の現実的な生や記憶、感性をからませている。
このある種、カジュアルな変容の感覚にこそ、筆者は現在性を感じた。
それは、描くことの喜びとともにある軽やかさ、自由さ、世界観なき世界と現在の絵画を巡る環境を背景としたイメージの融通無碍な拡張である。
もはや自身と外界との安定した関係が困難な現代において、過去の名画に「触れる」ことも可能性となりうることを、飯田さんは証明しようとしている。
ここでは、過去の歴史性を帯びた絵画の価値とのつながりと、その隔たり、欠落を埋める絵画の力が、現代という時代性と感性、想像力によって試されているのではないか。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)