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市橋安治展 - 没後5年 - ギャラリーA・C・S(名古屋)で2024年6月15-29日に開催

ギャラリーA・C・S(名古屋) 2024年6月15〜29日

市橋安治

 市橋安治さんは1948年、岐阜県羽島市出身。名古屋市を拠点に画家、版画家として活動し、2019年6月に亡くなった。

 もともと2008年から、妻でA・C・S画廊主の佐藤文子さんが8月20日の市橋さんの誕生日に合わせ、お盆の時期に市橋さんの展覧会を組みこんでいた。それが、2019年以降は、追悼展として継続されているのである。今年は、祥月に当たる6月の開催となった。

 2008年以前は、名古屋では主に名古屋駅近くにあったギャラリー141で、東京では銀座の中和ギャラリーで、交互に毎年、個展をしていた。

 2019年以降のA・C・Sでの追悼展は、回顧展シリーズとして、佐藤さんが毎回、テーマを決めている。このWEBサイトでは、2019年以降のすべての展覧会のレビューを掲載している。以下の通りである。

・2019年個展「市橋安治 初期の版画 1973〜76 市橋さんを偲んで
・2020年個展「市橋安治展 ギャラリーA・C・S 没後1年・生誕72年〜銅版画、ドローイング&油彩〜
・2021年個展「市橋安治展 没後2年・生誕73年 A・C・S(名古屋)で8月28日まで
・2022年個展「市橋安治展 没後3年-2000年代の表現-A・C・S(名古屋)で8月20日-9月3日
・2023年個展「市橋安治展 没後4年 A・C・S(名古屋)で2023年8月19日-9月2日に開催

 油絵において、市橋さんは2000年代以降、支持体に粗麻あらそ(精製してない麻糸)を使うようになった。

 今回も、同様である。木工用ボンドを水で解いて塗って固め、その上に油絵具で描く。そして油絵がうまくいくと、銅版画で同じイメージの作品に取り掛かる。

 2000年代以降は、椅子、電球、ハンガーなど、日常空間にある具象的なものがモチーフになったが、今回は、白や黄、黒などの背景に対して、異なる小さな形がぎっしり埋まった作風である。

 A・C・Sが発行する「ラ ビスタ」によると、2012年2月、市橋さんは、肺がんで余命半年の宣告を受けた。抗がん剤は不適合で、放射線治療のみを続けたという。

 体力をつけるために、スポーツクラブで水泳に打ち込み、体調が回復した2013年にA・C・Sで、2014年に中和ギャラリーで、復帰展を開いた。

 今回は、そのときの油彩画、版画を中心に、2016年に中和ギャラリーで発表した作品を加えて展示している。 

病を得て、産まれた「曼荼羅」 2024年

 「ラ ビスタ」には、2013年の個展に際して、市橋さんが書いた「私の曼荼羅」という文章も掲載されている。以下、引用。

           昨年の春、思わぬ大病をした。
           余命を告げられ身の不運と残された時間に
           思いを馳せながら、遺言として描き始めた作品群。
           それは真に描く事が、そのまま祈りとなった。
           しかし私の祈りは届くだろうか?
           死んだ者たちに……。
           生きとし生けるものたちに……。

 2012年に余命半年の宣告を受けたのだから、いくらか体調が戻った上での復帰展とはいえ、「遺言」としての作品を描くことになったのは当然であろう。

 それゆえの「曼荼羅」であり、市橋さんにとって、描くことが、病、死と向き合いながら、自らの生、創造する意味、そして、生命のつながりと宇宙を感じる深遠な時間になったのではないか。

 市橋さんの曼荼羅では、諸仏諸尊の代わりに、自身がこれまで描いてきた形をより抽象化、記号化したものが空間に散りばめられている。

 粗麻に厚塗りされた絵肌は重いが、軽妙さのようなものも感じる。強さと、しなやかさ、気骨さと愛嬌が同居している。

 互いに似ていて、それでいて決して同じものがない明快な形は、多様な人間のアナロジーのようにも見える。それぞれが自由に、自分の領分で生き生きと存在している趣である。

 「自分は自分であれば、それでいい」という、分け隔てのない人間の輝き、すべての人の幸福への祈りの響きが感じられる曼荼羅である。

 死を意識し、集中力と根気のいる作業を続けながら、いまここを生きることで、たどり着いた画境は、画業の初期において掘り下げた人間の哀しみを超越した、人間のいのちの働きと自由を讃嘆するものだったのではないか。

 最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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