ギャラリーA・C・S(名古屋) 2023年8月19日 〜9月2日
市橋安治さんを偲ぶシリーズ
2019年6月に亡くなった名古屋市の画家、市橋安治さんの没後4年の回顧的な展示である。
市橋さんは1948年、岐阜県羽島市出身。生前の2008年から、妻でA・C・S画廊主の佐藤文子さんが、8月20日の市橋さんの誕生日に合わせ、お盆休みの時期に市橋さんの展覧会を組みこんでいたが、2019年以降は追悼展となったのである。
2008年以前は、名古屋では主に、名古屋駅近くのギャラリー141で個展を開いていた。東京の中和ギャラリーと交互に毎年、個展をするのが慣例となっていた。
他界した後は、毎回、テーマを決め、回顧展シリーズのようなかたちで続けている。今回は5回目。過去4回の展示は、下記のレビューを参照。
「市橋安治 初期の版画 1973〜76 市橋さんを偲んで」、「市橋安治展 ギャラリーA・C・S 没後1年・生誕72年〜銅版画、ドローイング&油彩〜」、「市橋安治展 没後2年・生誕73年 A・C・S(名古屋)で8月28日まで」、「市橋安治展 没後3年-2000年代の表現-A・C・S(名古屋)で8月20日-9月3日」も参照。
没後4年 2006年から2011年ごろの油彩画、銅版画
今回は、2006年から11年ごろまでの油彩画、銅版画を展示した。前回2022年の展示では、2000年代中頃までの作品を紹介しているので、その後の作品である。
2000年代に入った頃から、市橋さんは、支持体をキャンバスから粗麻(精製してない麻糸)の布に変えている。雑穀店で、使用後の袋を購入し、ほどいて開いてから洗浄。干した後に縫い合わせてつないだものである。
小品では、ボードにそのまま張り、大きな作品では木枠に張った。木工用ボンドを水で解いて塗って固め、その上に油絵具で描いていくのである。
モチーフは、テーブルや椅子、瓶、電球、ハンガーなど、生活の中にある何げないものである。この時期、市橋さんは、油絵と併行して、銅版画(エッチングにドライポイント併用)も制作している。
ほかに一部に抽象的なイメージもあるが、いずれにしても、油絵と銅版画で、別のものを描いていたわけではなく、モチーフは共通している。画廊の佐藤さんによると、まず油絵を描き、同じモチーフを銅版画に展開していったようである。
ゴワゴワした粗麻といい、厚塗りの油絵具といい、物質感がとても強い。モチーフを明瞭化、記号化して、とても強い形を描いている。しかし、余白が多く、白地を基調に色彩の数を抑えているので、重々しいわけではない。
この、軽やかとは言えないまでも、強い存在感とともに立ち上がる、どこか飄逸な感覚、ユーモアの味わいは、ゴヤに魅了されて描いた初期の重々しい画風から解放されていく中で、獲得していったものではないだろうか。
ユニークな特長として注目すべきは、記号のような明快な形を描いた油絵が、版をおして制作したような印象を与えることである。これは線刻の表現が影響している。
例えば、4つの電球が吊された大作では、黒地の上にクリーム色を全面に重ね、乾いてから引っ掻いて、下地の黒の線を出して、電球の輪郭にしている。
この緊張感のある強い線刻によって、版画のようなイメージがつくられているが、この制作方法自体が、エッチング制作のときにグランドをニードルで引っ掻いて剥がすように描画する方法を思い起こさせる。
日常に存在する、なんということもない物に眼差しを向け、粗麻と油絵具の強さを強調した油絵と、版画手法を行き来しながら、制作している。
単純化した形と空間、明瞭でおおらかな色彩。これらの日常のものに、市橋さんは人間の存在を重ねているような気もする。
存在することの不思議さ、強さと儚さ、歓びと哀切。そんな静かな存在の揺らぎのようなものが、心地よいパルスとなって響いてくるようである。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)