Gallery NAO MASAKI(名古屋) 2023年8月26〜9月10日
堀尾昭子
堀尾昭子さんは1937年、徳島市生まれ。看護師として勤務し、1962年頃、25歳から制作を始めた。1967年に「具体新人展」に出品。翌1968年、具体美術協会会員となった。夫は堀尾貞治さん。
NAO MASAKIでは、2022年に続く個展である。2023年は、豊田市美術館のコレクション展「枠と波」でも、まとまったかたちで作品が紹介された。
これに先立つ2021年には、兵庫・西脇市岡之山美術館で「堀尾昭子の現在」展を開催。2022年には、森美術館の「地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング」にも出品している。
日々の芸術
堀尾昭子さんの作品は、紙や包装容器、木片、アクリル片など身近な素材を使っている。色を塗る、線を引く、穴を開ける、曲げる、つなぐ、組み合わせるなど、小さな行為を丁寧に繰り返して制作している。
一見、工作の延長というような、日常的なこととそれほど離れていない作業を重ねる。作る感覚そのものを愉しみ、その、集中する時間をいとおしむように手と目を使う。
平面もあれば、立体もある。筆者は、そういう区別さえ超越しているような印象を受ける。ほとんどが小さく、手のひらに載るほどのサイズもある。
そして、なんということもないような1つ1つの作品が不思議なほど美しい。1つのこと、形や色、線、傾き、配置、組み合わせ、調和などにとても気を使っているように思える。
このさりげないものを、静けさとともに、超越したものに近づけてくれる感覚が、堀尾さんの作品の魅力ではないだろうか。
簡潔な作品だが、それを目指しているわけではないという。素材や形、線、色で、緻密に自分が見たい美しいものを作っている。
制作過程で余分なものを削ぎ落とすと、このような作品になるのだ。それを堀尾さんは、「私の『世界を組む』こと」だと言っている。
「雑草に美しい花が咲いているのを見るたびに、こんな風につくりたいと思います」とも書いている。
つまり、大きな世界ではなく、小さな世界。おしゃれなフロリストに並ぶ立派な花ではなく、雑草の花の美を求めている。大きさ、派手さ、高価な素材、「自分こそ」という主張はなく、なんとなく在る感じがとてもよい。
だから、余分な計らい、ケレン味がない。余分なことはしない。結果として、寡黙な作品となり、一般には、シンプルと解釈される態のものとなる。
日常にあるささやかなもの、何ということもない素材、道具、技術を使う。そして、丁寧に自分の目で世界を見て、自分の手を動かし、堀尾さんにとって美しい「世界」を作ることに賭けているのだ。
雑草が雑草に見えるように、「工作の延長」のように見せながら、それが実は、研ぎ澄まされた感性と丁寧な手作業によって昇華された、静謐で美しい世界なのである。
精神の旅のような制作の時間によって、堀尾さんが作る世界が美しい秩序へと近づいていくのである。そこには、ざわつき、混じりけがない。抑制的に作り、均衡点を見出している。
堀尾さんは、日常の出来事、生きることと制作を等価に扱っている。それゆえ、芸術的な主張の大きさ、表現的なそぶりは見せない。むしろ、ノンシャランとしていて、どことなくユーモアを感じさせるものである。
半面、板切れや紙、アクリル板、ねじ釘などを素材に、アクリル絵具や水性塗料を厚く塗り重ね、あるいは、素材を切る、削る、組み合わせるなどした、その慎ましさ、自然体には、作家の透徹した眼差しが隅々まで行き渡った平然さ、無言の強さのようなものを感じる。
世界を対象化し、自分のコンセプトにこだわって加工するというより、日常的な世界を受け入れ、応答し、この世界と交わる中で、世界と共同で未知のものを生みだすような制作と言ってもいい。
日常にある、ささやかな素材、色や形や線などの造形要素の組み合わせ、組み立てによって、小さな、そして、要素と要素、関係と関係、作品と作品、余白と余白、空間と空間が響き合うような、端正な「世界」が差し出されている。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)