Gallery NAO MASAKI(名古屋) 2021年2月19〜3月7日
中西洋人さんは1984年、名古屋市生まれ。岐阜県内で木工、家具制作を学んだ後、2010年から個展を中心に活動。翌2011年秋からは、滋賀県北部の自宅兼工房で創作を続ける。
木彫家だが、木工、家具制作から入っていることも影響しているのだろう、制作の姿勢が独特である。
一部はテーブルや椅子、花器に使えそうな器もあるものの、朽ちて側面に大きな開口部があるなど、通常の意味で「使う」とは趣きが異なる。
また、たとえ機能性をもったものでなくても、「彫刻」というのは躊躇される。
鎖のようにリアルに彫り込んだオブジェもある。だが、そうしたものより、むしろ、工芸にしろ、美術にしろ、人間的な意図、目的を控えめにしているといった感じが印象に残る。
ほとんど山道に落ちていたような木片というほどの小立体が壁に掛かっていたりもする。
木の質感をそのまま生かしたものがある一方で、滑らかな須恵器のような表情の作品や、まさに綱や鎖に見える写実的な作品もある。
これらの作品の多くは、作家自身が山の中で出逢った木片や切り株、倒木など、干からび、まさに朽ちようとしていた木塊から生み出されている。
個展に寄せた中西さんの言葉を参照すると、朽ちて土に還る素材に手を加え、その存在に耳を傾け、生から死へと進んでいく時間に寄り添っている、と言えるかもしれない。
倒木が生々しい態様とともに作品化されたものばかりでなく、元の素材の形がほとんど分からないまま、それでも、傷口や腐食した部分を残すようにした素朴な作品もある。
その一方で、荒れた木の表面を生かしながらも繊細、滑らかに装飾的な加工をした作品からは、品格が感じられる。
種子から芽吹き、数十年、場合によっては数百年という時間を経てたどりついた樹々の木霊の声を聞き、形を紡ぐ。
だが、決して、時間を巻き戻すわけではなく、さりとて、人為に任せて加工するわけでもない。生と死のあわいの時間に寄り添い、そこにとどまるのである。
いわば、生と死の結び目のような作品である。
だからだろうか、そこには、長い仮死の眠りから目覚め、生への本能がよみがえったばかりというような存在感がある。
死に向かう腐敗、損壊と、生への自己保存本能がせめぎ合う時間の中にあるのである。
中西さんは、何らかの理由で倒れるなどした樹々の死にゆく時間に自らが沈潜し、命の全体性を想い、小さな命を再生するかのように、丁寧に、手を加える。
それは、樹々の存在への尊厳と謙虚さ、手を加えることへの葛藤がなければ、到底できることではない。
死のもがりの時間に寄り添い、同時に新たな命の連鎖として制作する。そんな感じである。
生まれ出た作品は、命の誕生のように美しく、恩寵のように存在している。
中西さんの作品が西洋的彫刻観のみによって作られたものでないことは確かである。アニミズム的な傾向を見ることもできるかもしれない。
樹々と自然に対する作者の独特の世界観と意思は、作品を見る人が抱く共感の確かなよりどころになっている。
中西さんの作品は、深い生命への慈しみがにじみ、はるか長い時間を感じさせる。
瑞々しい緑に覆われた樹々が長い年月の末に年老い、枯れて、干からび、朽ち落ちて、ゆっくりと姿を変えたもがりの時間。
その変化に尊厳を見いだした中西さんが、新たな生命として生み出した美がここにはある。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)