ケンジタキギャラリー(名古屋) 2019年12月20日〜2020年2月22日
杉戸洋さん1970年、名古屋市生まれ。少年時代をニューヨークで過ごし、愛知県立芸大では、日本画科を卒業した。個展を最初に見たのは、1996年。杉戸さんはまだ20代半ばで、小山登美夫ギャラリーがまだ東京・佐賀町の食糧ビルにあった頃である。画面の両側に袖幕がある舞台のような空間に、見たことのない生き物の物語的な場面が日本画の顔料、パステル、アクリルなどの淡く透明感のある色彩で夢の中のように描かれていた。
その後、すぐに国内外で注目され、活躍の場を広げた。絵画だけにとどまらず、建築家との共同制作など、小さな絵画から大作、空間にレイアウトする展開や建築的な立体まで、好奇心はとどまるところを知らない。絵画と立体や構築物、インスタレーション、抽象と具象などを行き来しながら、あるいは、それらを包み込むような空間で軽やかに自在にいろいろなことを試みる。
今回は、小ぶりな絵画を集めた展示だが、大変、見応えがあった(記事では、ほぼ全作品を掲載した)。杉戸さんの資質が小さな絵画に詰まっている感を受けた。縦長の小さなキャンバスを4つ、連作のように並べたコーナーでは、それぞれに矩形による空間が描かれ、中を覗き込むような気持ちにさせられた。乱雑に見える描き方の中にも、色の組み合わせや重なり、構成、塗りの変化やストローク、かすれ、滲みなどが見事に符合して、破調の中にこの作家にしか導けない美しさがある。
杉戸さんのセンスは独特である。脱力系の作品なのだが、弱々しく、気ままに色を載せ、線を引き、重なり合わせ、思い思いに即興的に遊んでいるように見せて、切り取ったどの部分も一つの絵画空間にはまりこんでいる。その乱調、ズレの組み合わせの妙、それぞれは気ままな音のアンサンブルが1つの響きになっているような感覚。杉戸さんは、それを空間にも立体にも応用できてしまう。とても心地よく、静穏な思いにしてくれる。こうしたさまざまな要素の響きあい、空間と色彩への感覚は人に真似できないものだ。
緑を基調にした他の作品では、一番外側の緑色のフレームだけでも、かすれた部分、諧調を変えている部分、厚塗りと薄塗り、別の色を混ぜ込んでいる部分などニュアンスを変化させ、繊細に描き分けている。その内側の空間には、小さな歪んだ矩形、ドット、かすれた色面、滲んだ縦線やうごめくような絵の具の塊など、実に多彩な形、色がうまく収まっている。キャンバスに額縁のような枠を縦や横の短いストロークを重ねて描きながら、その内側の白っぽい空間にカラフルな環形動物が動いているように見える作品もあった。白い背景の空間に余白を大きくして木をシンプルに配した美しい作品にも惹かれるものがある。
杉戸さんの絵画では、近づいてみたときの空間の小さな部分と、離れて見たときの表情の変化も楽しい。見る者の視覚をズームインさせたり、ズームアウトさせたり、鳥の目にさせたりしながら、視線をうつろわせる。絵画の中だけでなく、キャンバス生地を木枠からはみ出るように長くしたり、メッシュ生地をキャンバスの上から貼ったりと、ユニークな試みも。あるいは、キャンバス釘をあえて途中までしか打ち込まなかったり、釘の頭を黄色の絵の具で塗ったりという行為も意表を突く。一部の絵は額装し、その額を塗り直したと思えるような作品もあるなど、とにかく、さまざまなことをしている。
絵の中も支持体も、飾り方や配置、それらの作品が共鳴する展示空間も含めて、一続きのものとして、見る人が豊かな時間を過ごせるようにしつつ、何よりも作家本人も楽しんでいる感じが伝わってくる。個々の絵画が空間を背景としたインスタレーションとして成り立っていて、個々の作品も全体も静穏に響き合っている。癒やしではないのだが。絵画を楽しめる、空間を楽しめる、そんな会場である。中間色の柔らかい色彩と形象、絵画空間、静穏な佇まい、繊細なニュアンス、弱く清澄な世界、純粋さ、軽やかさ。とても好きな展示である。