『見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界』
カンディンスキーやモンドリアンより早く抽象絵画を完成させていたスウェーデンの女性画家、ヒルマ・アフ・クリント(1862-1944年)の作品に迫るドキュメンタリー映画『見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界』が2022年4月30日~5月20日、名古屋・今池の名古屋シネマテークで公開される。
ヒルマ・アフ・クリントは、スウェーデン王立美術院で美術を学んだ。卒業後、当時の女性としては珍しい職業画家として伝統的な絵画を描き、成功を収めていた。
その一方で、多感な青春期から、霊的世界や神智学に関心を持ち、妹を亡くしたことで、それがより強くなる。
神秘主義に傾倒した彼女は、独自の表現の道を歩みはじめ、同じ思想を持った4人の女性芸術家と結成した芸術家集団「5人(De Fem)」での活動や、同世代のルドルフ・シュタイナー(1861-1925年)との出会いを経て、一層輝きを増していく。
だが、彼女は自身の革新的な作品を公表することなく、死後20年間は世に出さないように言い残し、この世を去った…。
月日は流れ、現代。彼女は突如として世界に発見された。
各地の展覧会で評判を呼び、2018年~2019年の米ニューヨークのグッゲンハイム美術館での回顧展は、同館史上最高の来場数(約60万人)を記録、大きな話題となった。
今、世界中の人々の心をわしづかみにする彼女の絵は、なぜ死後20年を経ても知られることがなかったのか。
そして、生涯をかけて自分で道をつくり、その道を歩んだ彼女が、目に見えるものを超えて見つめていた世界とは—。
キュレーター、美術史家、科学史家、遺族などの証言と、彼女が残した絵と言葉から解き明かす。
レビュー
人間、生命、身体と精神、自然、宇宙を、有機的、幾何学的な図像で表したような作品は神秘的で、シュタイナーの思想とつながっていると感じさせる。
19世紀末から20世紀初めにかけての神秘主義的潮流の中で、シュタイナーの基盤にある神智学、神秘主義は、近現代の芸術家との関係で語られることも多く、カンディンスキー、モンドリアン、ヨーゼフ・ボイス、ブランクーシ、ミヒャエル・エンデなどの美術家、文学作家と接点がある。
抽象絵画は、カンディンスキー、あるいはモンドリアンが1910年前後に始めたとされるが、ヒルマ・アフ・クリントは、1906年から抽象画を描いていた。
映画では、ヒルマ・アフ・クリントの生涯、思想、作品とともに、その作品が忘れ去られ、いったん決められた美術史を覆すことが困難であることも強調される。
それは、日本で、走泥社・八木一夫の『ザムザ氏の散歩』(1954年)が日本で最初のオブジェ陶芸とされ、林康夫さんの『雲』『無題(ハイヒール)』や四耕会の活動が抹殺されたのと似ている。偽りの歴史が有名な評論家によってつくられ、神話化されたのである。
ヒルマ・アフ・クリントの場合は、美術史が男性中心に紡がれてきた背景、すなわち、ジェンダーのアンバランスの問題がある。
映画の中では、女性差別、女性排除の時代にあって、反権威主義的だったシュタイナーの人智学とヒルマ・アフ・クリントとの関係も紹介されていた。
ヒルマ・アフ・クリントの存在は、男性中心の美術史や、アートマーケットのゆがみをも照射するのである。
ヒルマ・アフ・クリントの作品では、螺旋などのシンボリックな形、独特の色彩によって、生命と成長、自然や植物、人間精神の共同性への思考が深められている。
また、ヒルマ・アフ・クリントが、家庭にあるタオルやシーツを縫い合わせて支持体にしていたというエピソードは、現代の女性アーティストに通じる部分も感じられ、興味深い。
この世界の生命エネルギー、宇宙のエネルギーに人間の魂をふれあわせるような作品群。刺激に満ちた映画である。
ハリナ・ディルシュカ
1975年、ドイツ・ベルリン生まれ。演技、クラシック歌唱、映画制作を学んだ後、ベルリンにAMBROSIA FILMを設立。初監督作品の短編映画『9andahalf’s Goodbye』(2010年)は、世界40以上の映画祭で上映され、数々の賞を受賞した。その後、監督、プロデューサーとして『Deja Vu』 (2013年) を手がける。本作『見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界』は、ヒルマ・アフ・クリントを取り上げた初めての映画で、彼女の長編映画監督デビュー作となる。