ガレリア フィナルテ(名古屋) 2023年4月4〜22日
早矢仕清貴
早矢仕清貴さんは1959年、岐阜県生まれ。愛知県立芸術大学卒業、同大学院修了。ガレリアフィナルテで継続して個展を開いている。
自分で撮影した写真や、ネット上の写真をもとに絵画を描いている。モチーフに一貫した対象があるわけではなく、個展ごとにさまざまな対象を変化している。2021年の個展では、人物画を中心に扇風機、オープンラック、畑、人のいる室内の情景などが描かれた。
「絵画的」な絵画をしっかり意識しながら、それでいて、絵具の塗りが強調され過ぎないようにし、むしろ手数を減らして制御している。厚く塗ることはなく、色も重ねすぎない。
形や場面ををシンプルに切り取り、それぞれに存在する物と物、物と空間の関係を描いている。輪郭を曖昧にし、立体的に面取りをすることは回避している。伸びやかな色彩の広がりの印象が強く、力強いタッチやマチエール、諧調や塗りむらは控えめである。
つまり、形態を構築することはなく、徹頭徹尾、手数を減らして、絵具を塗り伸ばしながら、どれだけ絵画性を実現してその場の空気感を描けるかを試しているように見える。
それは、写真的イメージと絵画性、抽象性、リアリティのいずれからも等距離であることを探るように描いているということでもある。
個展 2023年
何が描かれているのかと言えば、空間に水平に突き出た手、あるいは、ピンクのワンピースを着た女性の後ろ姿、積み上げられた本のバリエーション、などである。
それらは、日常的なイメージであると同時に曖昧さを残していて、すこぶる絵画的であると同時に筆触や塗りを強調することはない。
最低限の手数によって、写真的なイメージに近づけつつ、それが絵画として存在することを際立たせる描き方である。同時に、輪郭を緩やかにして色面を広くとり、抽象的な佇まいにも接近しながら、リアリティを失っていない。
また、具体的な日常世界をシンプルに描きながらも、個別性を再現することは抑制している。物と空間とのあり方として、抽象的な雰囲気をまとっているのはそのためだろう。実際のところ、手数が少ない分、抽象的な地と図の関係も見て取れる。
早矢仕さんはこれまでも、目を閉じた顔や、ピンボケ風のイメージを描くなどにして、モチーフの個性を消している。
個性が出ると、ナラティブな要素が前面に出る。それは、いわば、内容が強調されて、絵画の形式的な要素が後退する。早矢仕さんはそれをしたくない。だから、今回の人物画は、後ろ姿の背中から腰のあたりを描いている。
ソファーに寝ている人物は、顔が見えない。植物をモチーフにした作品は、それが何の種類の植物なのか分からないように描いている。積まれた本の内容も分からない。それこそ、絵画の内容ではなく、絵画そのものを重視していることのあかしである。
写真のイメージをシンプルにしながら個性を消す。そして、絵画性に則りながらも、描きこまず、線を強調することも面取りすることもしない。だから、抽象的であり、どこかデザイン的なふうにも見える。絵画的だけれども、べとべとせず、すっきりしているのである。
だからこそ、例えば、水平に突き出た手、さまざまな本の積まれ方、人物の後ろ姿、あるいは気ままに寝そべった体、植物に伸ばした手など、物と空間の関係が絵画的に現れる。
手数を抑えて支持体に載せた、さらっとしたなタッチと色面という形式的な要素を制御しながら、具象イメージと抽象性、絵画らしさと現実らしさが成り立つ、早矢仕さんならではの描法である。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)