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ハシグチリンタロウ Gallery NAO MASAKI(名古屋)  4月25日まで

Gallery NAO MASAKI(名古屋) 2021年4月10〜25日

ペーパードラッグ/PAPER DRUG

 ハシグチリンタロウさんは、アナーキーなパンク書家。2019年に同じ画廊で、具体美術協会に参加していた堀尾貞治さんとの2人展に参加。この画廊での個展は初めてとなる。

 個展全体に対して「ペーパードラッグ」というタイトルを付け、「紙の薬」に多義的な内容を込めている。

 ハシグチさんは1985年、長崎県生まれ。2009年に福岡教育大学教育学部中等教育教員養成課程の書道専攻コースを卒業した。長崎県佐世保市内で制作している。

 10代で出合ったパンクロックが制作の骨格になっている。

ハシグチリンタロウ

 前衛書の井上有一の影響も大きい。土方巽の舞踏、具体美術協会、岡本太郎などからも吸収した。

 ハシグチさんも、こうした系脈に連なる型破りの人である。

 初期の2009年頃には、自己表現として、木工用ボンドを頭からかぶるというパフォーマンスを披露。身体性とともに最小限の道具で書くという行為を実践する。

ハシグチリンタロウ

 書家としてのベース、幅広い知識を土台にしながら、既成の概念を打ち破っていく。

 エネルギーとともに突き動かされて制作する情熱は凄まじいほどだ。

 そのあたりは、今回、2階の会場で投影されているライブ映像を見ると、よくわかる。

 激しい身体性と並ぶもう1つの特徴は、ハシグチさんが自身の思索、思考を日々、ノートに鉛筆で書き連ね、それらの集積が造字につながっていることだ。

 つまり、作品は、そうしたメモランダムの断片がかたちになって現れた身体と感覚のエネルギーである。

ハシグチリンタロウ

 爆発的な作品と、細かい文字が書き連ねられたメモランダムの関係は見逃すことができない。

 また、日常の生活から乖離した高価な筆を使うことをやめ、2012年からは、安価なタオルに墨をつけて書いている。

 書道の世界では当たり前のように使われていた高価な筆や画仙紙が日常的な素材でないと悟ったのである。

 今回は、画用紙に鉛筆で表現したドローイングのような連作も発表している。

ハシグチリンタロウ

 紙と鉛筆がハシグチさんにとって、最も日常的で、庶民が使う筆記具、画材なのである。

 紙と鉛筆があればいい、手に墨をつけて書けばいいという発想は、書芸術は筆で書くものだという固定観念を超えた。

 ハシグチさんにとって大事なのは、そうした道具の価値でなく、体と精神、そこから生まれ出る文字、言葉である。

 権威化するアート、富と結びついた芸術に背を向け、持たざる者への共感を隠さない。

 ヒエラルキーを転覆させることで生起する文字に「生きること」の真実を見いだしている。

ハシグチリンタロウ

 反骨のパンクと書の接点を模索しているという言い方もできるだろう。書いているのは、もう通常の文字という概念を超えている。

 文字なのか、絵文字なのか、絵なのか、漫画なのか・・・。

 実際、前回の取材時、ハシグチさんは、これが文字かどうか自分でも説明できないと言っていた。

ハシグチリンタロウ

 そして、そこに書かれた文字がどんなものであろうと、背景には深き思索への沈潜があり、その文字、線には、彼の中に築きあげられた混沌とした思索の痕跡が憑依しているのである。

 そうしたバックグラウンドは、世界観、歴史観といってもいいが、実際には、もう少し生乾きで変化し続けているものだ。

 完結するものではなく、断片がつながりつつ、ねじれ、錯綜し、たとえ明瞭な意味や一貫性は失われても、その思索の場に居続けることでエネルギーを蓄えていく、ハシグチさんにとってのリアリティそのものである。

ハシグチリンタロウ

 ハシグチさんは、それを、独自の造字法を土台に線に分解し、あるいはつなぎ合わせ、文字なのかイメージなのか、その両方なのか分からないものの現れとして提示する。

 それは、パソコンやスマートフォンに打ち込んだ乾いた文字でなく、手で文字を書くことによって、身体と精神が一体になった末に溢れ出たむき出しの生の運動が言霊となったものである。

 前回の2人展では、自分を含めた《poor men》(持たざる者)と、スピーカーのイメージがモチーフになった《MEI SOUND SYSTEM》のシリーズが中心だった。

ハシグチリンタロウ

 今回は、京都で開催されたARTISTS’ FAIR KYOTO 2020での展示作品のほか、 「文字」と「言葉」をテーマに、太古と1000年後の未来をつないで紡がれる壮大なフィクションがモチーフになっている。

  過去の遺産的な言葉を錬金術的に扱う1000年後の《MINOR MAKER》といわれる存在や、 《謎の本》《AMAZONから来た男》などをモチーフにした物語の展開は奇想天外。妄想のように錯綜していて、説明しづらい。

 大きな墨の作品と、鉛筆でかいたストーリー漫画のような作品が展示され、相互に関連づけられている。

ハシグチリンタロウ

 その両方を行き来しながら、パワフルな世界に浸ると、これらの作品は、ハシグチさんにとってのリアリティが反乱のように立ち現れたように思える。

 乾いた文字や言葉が、物事の本質、世界の現状をつかみきれなくなった中で、文字を作ったはずの私たち人間は浮遊感覚のような世界に生き、概念の表層に支配されている。

 ハシグチさんの作品は、そんな現状に抵抗し、今、世界はどうなっているのか、文字とは何か、言葉とは何かを問い続け、その思考の渦としての「書」によって賭けを挑んでいるのである。

 最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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