清須市はるひ美術館(愛知県) 2020年9月19日〜11月23日
物語としての建築—若山滋と弟子たち展— 清須市はるひ美術館
建築家、文筆家で、長く名古屋工業大で学生を指導した若山滋さんと名工大の教え子らの建築作品を紹介する展示である。
筆者が中日新聞の文化部にいた1990年代、既に若山滋さんはよく知られていたが、直接取材することはなかった。
また、当時、足繁く通ったはるひ美術館が、若山さんの設計によるものだということも、今回の展覧会で初めて知った。
若山さんは1947年、台湾生まれ。東京工業大学を卒業。同大学院博士課程を修了し、数々の建築を設計するとともに名工大で後進の育成に当たった。
会場の説明によると、若山さんは、ワン・スパンの細長い架構、柱、梁、壁など構造体の表現に特徴があった。コンクリートの無機質な表情を見せながらも、構造体を意匠に取り入れ、曲面を活用するなどして、柔らかく開放感のある空間を実現した。
こうした建築の特徴もさることながら、展示で強調されているのは、展覧会のタイトルになっている「物語としての建築」である。「生きているなら旅立とう 新しい物語に向かって」という惹句がチラシにも書いてある。
若山さんは、旺盛な執筆活動で知られる。
建築から見た文化論、文化から見た建築論を書き、とりわけ、文学における建築、空間の表現を読み解くとともに、時代や地域、風土に根ざした文化的精神、都市や現代社会を洞察した。
東京の設計事務所から、名工大の助教授に赴任したのは、36歳のとき。講義では、「建築の物語」を説き、自然風土による建築構法の分布、文学の中の虚構の空間と現実の建築空間の関係性を研究した。
展覧会の展示の方法は、こうした若山さんの思想を踏まえ、独特である。
まず、建築物の写真がない。正確には、会場に置いてあるリーフレットには、建築物の写真が掲載されているが、会場では、あえて写真、動画を展示していない。
建築展でよく見られるCG画像も用意されていない。
そして、基本的に、全ての建築が同じスタイルで展示されている。
すなわち、壁にその建築に関わる若山さんの言葉が綴られ、その前に建築模型が展示されている。
シンプルと言えば、あまりにシンプルである。
例えば、名工大の正門であれば、「真の工人たる覚悟あるもののみ入れ」、名古屋駅東口の立体化構想には、「地下と空中を結ぶ立体サーキュレーション 」、西尾市岩瀬文庫展示棟なら、「この本を開きこの本を建てたい」などと題した文章がつく。
あるいは、愛知県碧南市の哲学たいけん村無我苑 瞑想回廊なら、「建築と外部が等価となるような」といった具合である。
ここでは、現実の建物のイメージ、つまり視覚のみに依存しないでほしいというメッセージを感じる。
文学における空間と現実の建築空間を洞察し、建築が物語とともにつくられるという考えに照らして、見る人自身が、若山さんの語りと、ニュートラルな模型から、イマジネーションを羽ばたかせ、自らの物語を紡ぐ。そんな鑑賞方法が求められている。
写真に頼ると、建物の外観の強いイメージを網膜に焼き付けることはできても、まなざしが空間の中に入っていくことはできない。
若山さんの言葉とともに、空想の中でモノトーンの建物の中を歩き、目がその中を進んでいくように、身体性を感じながら、物語を語ってほしい、といったところであろうか。
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特に、筆者が興味深く覚えたのは、名古屋の中心部の栄地区に、既存の建築をそのままにして、上空に新しい都市空間をネットワーク化する構想である。
栄地区は、高層ビルが少ないエリアである。
今も、スクラップアンドビルドが続くが、そうではなく、時間と空間のレイヤーを重ね、過去から未来へ時間をつなぎながら、空間を軽やかに重層化する発想を面白く感じた。
若山さんは、1983年から、約30年間、名工大で後進の育成に力を注いだ。会場では、国内外で活躍する弟子たちの作品を模型や写真で紹介する。
美術館の外には、名工大の北川啓介教授と北川建築研究所の北川珠美さんによる「インスタントハウス」も展示されている。
東日本大震災の避難所で、仮設住宅がなかなか建設されない状況に触れ、開発した建築である。
展覧会情報と関連イベントは、公式サイトで。