gallery N(名古屋) 2021年9月25日〜10月10日
濵田路子
濵田路子さんは1985年、東京都生まれ。2012年、多摩美術大学大学院美術研究科絵画専攻版画領域を修了した。神奈川県を拠点に制作している。
東京や名古屋を中心に個展、グループ展で作品を発表している。gallery Nでの個展は6年ぶり。筆者が作品を見るのは初めてである。
作品は人物をダイナミックに表現した木版画。 gallery Nは、版画の画廊ではなく、エキセントリックな新しい表現の現代美術も多い。木版画というのは意外感もあった。
2021年 gallery N(名古屋)
見たところ、繊細に姿形を捉えるというよりは、細部にはこだわらないで、表情やしぐさによって人物の個性、その場の雰囲気を大づかみにした印象である。
作品のみでは分からないが、この作家の最大の特徴は、自身で撮影した日常の写真の中の顔を基に版木を彫ることである。
しかも、もともとの写真の中から、気になった人物のみにズームアップするように大胆にトリミングして版画にする。
なぜ、そうした方法を取るのか。
濱田さんによると、絵画のように支持体に直接絵具をのせるのではなく、版画という版を介在し転写する制作プロセスが、光によるイメージを印画紙に焼き付ける写真のプロセスと、パラレルな関係にあるからである。
つまり、版という間接的なプロセスと、写真という間接的なプロセスが交差するところに濱田さんの作品の面白さがある。
版画家に制作プロセスについて聞くと、全てを自分でコントロールできない間接性、偶然性を挙げる人が多いから、濱田さんの考え方は、ある意味、一般的なものではある。
また、光を刻印した映像にも、意図せず写ってしまうもの、そのとき、その場所で起きたこととの邂逅ともいうべき瞬間があり、それが映像の魅力にもなっている。
写真におけるコード化不可能な偶然的な細部、つまりプンクトゥムと、版画における予期せぬ現れとが、制作過程で交わるのが、濱田さんの版画ともいえるだろう。
濱田さんが、撮影から時を経た写真を見返したとき、理由も分からぬまま気になってしまった画像の中の1人の顔は、作品として大きくトリミングされ、なんともいきいきとしした表情を見せている。
事実なのか、虚構なのか、感覚なのか、感情なのか、無意識なのか‥‥。版画と写真という間接的なプロセスと時間経過の中で、さまざまなものが混ざり合っている。
版木を彫る行為では、ちょっとした彫りの差異によって変化が生まれ、馬連による摺りも、わずかな絵具や水の量の違いや力加減によってイメージがずれていく。
作品の中の姿は、そうしたズレの感覚、荒々しい木版画の質感、版の間接性によって生まれるイメージによって、その表象自体がハプニングのように生々しく不意に立ち現れている印象さえある。
濱田さんの作品の人物は、写真の中の存在感、表情への意図せぬ関心と、そこにフォーカスして木版画を制作する中で起こる予想外の出来事が交わるところに現れる。
そうした自身の木版画制作を、濱田さんは人と人との関係になぞらえている。
一連の制作プロセスでは、濱田さんが心理的な小さなさざなみを伴って選び取った写真の人物との関係性や、その記憶、感情、無意識が、過去と現在を行き来するように渦巻き、それが制御できない木版画という技法を通じて立ち現れる。
写真の中の人物との時間的な距離感、表情や身振り、感情、服装、時空などが、木版画の版という過程を通じて、ある種の驚き、発見を伴って、あたかも《新しい人》のように現れるのが濱田さんの作品である。
今となっては、そこに、コロナ禍によって写真の中の友人らに会えないという状況も関わってくる。
自分の知っている人が、知らない人のように現れる瞬間。
新たな人に出会う感覚、言い換えると、自分が表現するというより、別の作用によって、その人の見えない部分が表現されるという感覚に近いのではないだろうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)