アートラボあいち(名古屋市中区) 2023年2月25日〜3月26日
絵画のふつうーふつうの絵画
GROUNDは、画家の小林孝亘さん、額田宣彦さん、丸山直文さん、高橋信行さん、猪狩雅則さんによって、2014年に結成された。
作品の展示と対話を通して、描く者と見る者が絵画をめぐる課題や問いを思考できる場をつくるのが狙いである。
2014年に1回目の展示、2016年に2回目、2017年にドローイングに絞った展示をし、今回が4回目の活動となる。テーマは「絵画のふつうーふつうの絵画」。
初日となる2023年2月25日には、シンポジウム「絵画のふつう、あるいは常識」が開催され、出品作家が絵画をテーマに議論を展開した。絵画に対する共通認識が失われつつある中、5人は、絵画のモチーフの主題、内容より、形式的諸要素にこだわっている。
近代以後の絵画の流れの軌道が途切れ、頼るべき基準、土台がない中で、それぞれのあり方で、絵画の形式に依拠しながら、同時に従来の絵画を超えた新たなものを求めているのだ。
デジタル・イメージが氾濫する今だからこそ、手技としての絵画がなしえる高みを目指しているともいえるだろう。イメージ、意味内容を伴った絵画であっても、フォーマリズムとメディウムへの意識が強く伺われる展示である。
小林孝亘
小林孝亘さんは1960年、東京生まれ。1986年、愛知県立芸術大学美術学部油画科卒業。武蔵野美術大学油絵学科教授。筆者は1990年代後半から、折に触れて作品を見ている。
最近は、2022年、豊田市美術館での「サンセット/サンライズ」で作品が展示された。このときは、小林孝亘さんの新作展「真昼」も開催された。小林孝亘特別連携展示として、豊田市民芸館でも展示があった。
小林さんは今回、森、海の絵を1点ずつ出品した。海岸近くに住んでいる小林さんにとって、海は日常の風景である。海の絵は2021年から描くようになり、2022年、豊田市美術館で初めて発表した。
深い森から浅い森へ、さらに海へとモチーフが変化した。森は生命があふれる場所、海はいのちが拡散し、宇宙、彼岸へと通じる生死のきわのメタファーともいえるのではないか。
小林さんの作品は、一筆一筆を重ねた具象的イメージが抽象的な力を喚起することを目指している。正面性を意識し、鑑賞者と絵画が1対1の関係となる中で、モチーフを超えて共有できる感覚を絵画の力としてどう導き出すかを問うているのだ。
小林さんは初期には、社会との接触を避けるような自己と外界の関係性を、「潜水艦」という非現実的なイメージとして描き、その後、木漏れ日に包まれた水飲み場など、身近なモチーフに転換することで、自分の存在と世界との関係を捉え直していった。
1990年代後半以降、タイ・バンコクでの制作を含め、ミツバチの巣箱や器、あるいは枕などへと対象を展開。実生活の中でモチーフを変化させながら、絵画形式だからこその喚起力と世界観を見せていく。
明確な構図で、一般的、普遍的なものを描き、平明さ、様式化があるにもかかわらず、描かれたものが形式的諸要素の作用によって、生と死といった背後に隠れた大きなものを充溢させるのである。
額田宣彦
額田宣彦さんは1963年、大阪府生まれ。1990年、愛知県立芸術大学大学院美術研究科油画専攻修了。1990年代半ばごろ、地に対して、ひたすら格子を描くジャングルジムのシリーズを展開した。愛知県立芸術大学美術科油画専攻教授。
ジャングルジムは、近代の前衛絵画のインデックスとして現れるグリッド構造を、矩形のキャンバスの限定された表面に、しなやかに、明快に取り入れることで、絵画の平面性、自律性、非再現性を担保したさまざまなバリエーションを展開させた。
現在は、グリッドから離れ、支持体の矩形の木枠から決定された線を麻布の布目に沿ってシステマティックに引いていく、より繊細な作品を発表している。
絵画の形式を注視し、その形式に、絵画を描くという自身の存在論的リアリティーをいかに還元できるかがテーマともいえる。
既製の木枠、布目、メディウムという絵画の諸形式と自分とのやりとりが制作のベースである。そこから、絵画形式を契機とした作家の描く行為による微細な差異の連なりが生まれる。
絵画形式から出発した《描くシステム》を突き詰めることで、絵画性と存在性の交感として、絵画であって、同時に絵画でないものが立ち上がるーー。
絵画形式に則って描いた線の集積。その還元的な方法による色面から立ち現れるものを、描画の始まりと終わりを超えて、その間にあるエネルゲイア的なものとして、作家の迷いを含めて、私たち鑑賞者が受け取ることに、絵画の本質を見る思いがする。
それは、小林さんが日常にある風景、物を描きながら、そこから単なる絵としての風景を超えたものが立ち現れるのと似ている。絵画形式に徹底的に根差すこと、そこに自分を還元しながら、すべてを吸収させないことで現れる、本質的な何かである。
丸山直文
丸山直文さんは1964年、新潟県生まれ。東京を拠点とする画家である。1990年代以降、日本の現代絵画の第一線で活躍してきた。武蔵野美術⼤学造形学部油絵学科特任教授。
シュウゴアーツ(東京)で作品を発表。その他の主な展覧会に、「ニイガタ・クリエーション」(新潟、2014)、「浮舟」豊⽥市美術館 (愛知、2011)、「丸山直文–後ろの正面」目黒区美術館 (東京、2008)、「ポートレート・セッション」広島市現代美術館(広島、2007)、「秘すれば花」森美術館(東京、2005)など。
一貫して、床に置いた、水を含んだ綿布にアクリル絵具を染み込ませて描くステイニング技法を用いている。
一応の再現的な対象は見られるものの、揺らぎ、震え、焦点は定まらず、特定の時間、空間を表象することもない。流動し、融解し、鑑賞者を包み込むように広がる絵画空間は、意味/無意味、具象/抽象、主体/客体、物質/イメージを超えていく。
今回は、2017-2019年の作品を出品している。モチーフは、キャンプのテント、湖でのボートなどアウトドア。概して、写真を使って、水辺の風景を描くことが多い。
一貫して取り組んできたステイニングによって、身体から自由になるはずが、逆に技法に縛られていることに気づいた。そして、3.11を経て、描く対象が何かということより、メディウム(メディア)そのものがメッセージになっているという考えに辿り着く。
支持体の上で絵具が流れることが津波で家などが流れることとつながり、描くことが今いる場所と社会、環境とリンクしたのだ。ステイニングを単なる技法でなく、自分が立つ場所と重なるメディア、絵画形式として描けるようになったのである。
ぬかるみのような不安定な支持体に筆を置いて描く行為そのものが、この日本という場所の現在とオーバーラップする。それは、自分の立っている場所の不安定さと言ってもいいものである。
あるものとあるものをつなぐメディウム、鑑賞者と作品との間にあるものが重要である。メディウム、形式の差異の繊細さを、私たち鑑賞者は感受するべきである。筆者は、2019年12月に豊田市美術館であった岡﨑乾二郎さんの講演会を思い起こした。
高橋信行
高橋信行さんは1968年、神奈川県生まれ。筆者は、名古屋の白土舎で発表していた頃によく取材した。愛知県立芸術大学美術学部美術科油画専攻卒業。愛知県立芸術大学美術科油画専攻教授。
高橋さんにとってはモチーフが重要である。写真画像をもとにエスキースを描き、それを拡大するように、リアリティーが出るまで描いていく。それは、文章でいうところの推敲の過程である。そうして引かれた線、形、構成の確かさがある。
映像を見て試行錯誤を繰り返すのは、高橋さんが求める明快な美しさを描くのに、ライブの風景は情報量が多すぎるからだろう。
以前は、絵葉書や旅行の本のスナップを見て描いた。今は、自分で撮影した写真、あるいは動画が下敷きになる。徹底的に削ぎ落とした、シンプルながら、何かを探り当てたような風景である。
今回は、四国の海、樹木の葉などがモチーフに選ばれている。画面を覆う葉を描いた作品は、画面がモザイク状になっている。グリッド構造をつくったというより、1つ1つの葉を描く過程で簡略化され、丸い葉が四角へと変化した。
構図も、色彩も、形も鷹揚としていて、たどたどしい線も、かすれたようは筆触も、すべてが時間をかけて丹念につくられた。それでいて、さらっと描いたような風景である。
ありきたりの風景の、誰もが自分の中に記憶やイメージとしてさりげなくもっている、それでいて、確固と存在する味わいのようなものである。
それは、絵画だけで1つの世界をもつ自律したものだ。作家の美意識に導かれて描かれながら、あたかも作家から離れたものになったたたずまいの妙味が、そこにある。
猪狩雅則
猪狩雅則さんは1975年、愛媛県生まれ。愛知県立芸術大学大学院美術研究科油画専攻修了。愛知県立芸術大学油画専攻准教授。
展覧会に「落石計画クロニクル2008-2015」(アートラボあいち、2013年)などがある。個展は、「猪狩雅則展」(はるひ美術館、2007年)など。
猪狩さんの絵画は、2つのレイヤーで成り立っている。手前のレイヤーは、大きな色面の形、奥のレイヤーは風景などである。手前の色面が奥の風景を塞いでいるように見えるため、どこか不穏な雰囲気もたたえている。手前の色面は、自分の中から出てきたものでなく、布を放り投げて撮った連続写真の形である。
今回の場合、ある作品では、丸椅子を重ねて置いたような場面が奥に描かれ、手前は青い大きな色面である。別の作品では、ビルと樹々の緑のような風景が奥にあって、手前にどろりとした赤い色面がある。
後者の作品では、排水管のような垂直の円柱や、窓の桟のような水平のラインが描かれている。展示室の白い壁ではなく、窓の近くに柱を組んで展示しているため、インスタレーションとして、建物の構造との関係性をもっている。
インスタレーション的であるにもかかわらず、つまり、現実空間との関係があるとしても、猪狩さんは、絵画の形式に極めて自覚的である。
その一方で、猪狩さんの作品は、展示する際に絵画の上下左右を限定しない。また、組み作品を並べて展示するときの順番も変えていいとしている。
つまり、空間によって絵画が関係づけられるとともに、具象的な風景のイメージが本来の意味内容から開放され、逆に、手前の不定形の色面が何かに見えてきたりもする。絵画形式に意識的に則りながら、それをずらし、差異を生み出すといえばいいだろうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)