Gallery 芽楽(名古屋) 2022年9月17日〜10月2日
柴田麻衣
柴田麻衣さんは1979年、愛知県生まれ。名古屋芸大と同大学院で版画を学び、現在は、版の発想を生かしつつ、グローバルな視野の広さで社会や歴史に目を向けた独自の絵画を展開している。
筆者は2019年以降、 Gallery 芽楽での個展を継続して見ているが、その都度、次はどんなテーマで描いてくるか、楽しみにしている。
柴田さんは版画を通じて身につけたレイヤーの重なり、マスキングによる重層的な絵画空間を主題と絡めて大作へと昇華させる。
透明感のある大画面、細部の繊細な描写、真摯なテーマ性が一体となって、鑑賞者を引きつける。特に大作のイメージの喚起力には目を見張るものがある。
一見、バラバラな多様なイメージの断片が散りばめられ、異世界、異時間が交じり合ったような不可思議な空間だが、全体性を失わず、むしろ、豊かなナラティブとして見る者に語りかける。
絵具を薄く何度も重ね、遥かかなたを見通すような深度をつくっている。手前から最果てまでの厚みのある空間に、柴田さんの誠実な思いが静かに仮託されている。
たとえ重いテーマでも、露骨に表現することや、感情を強めることはない。大胆すぎず、さりとて叙情に流れなることもなく、冷静に、透明感のある静謐な世界をつくっている。
それぞれの象徴的なイメージが、澄んだ空間で響き合うように主題を奏でる。
子育てなどをこなしながら、これだけの個展を毎年開くこと自体が容易ではないはずだ。集中力と誠実さ、絵画を楽しんでいる様子が画面から伝わってくる。
近年は、宗教と文化の多様性、民族や先住民、マイノリティのテーマで描いている。こうしたスタイルは、2013年にVOCA展奨励賞を受けた前後から一貫している。
旅で出会った外国での景観や風物、文化的、民族的、歴史的なイメージを描きながら、それにとどまることのない洞察が作品世界を支えている。
ギャラリー芽楽での2020年、2021年の個展レビューはこちら、2019年の個展レビューはこちらを参照してほしい。
Lost… 〜空に描かれたもの〜
今回は、地球環境の危機がテーマである。この星が誕生してから46億年のうち、わずか産業革命以降の200年前後において、科学技術の発展と大量生産・消費によって、膨大な化石燃料、森林資源を消費してきた人類の歴史を問うている。
地球が受けたダメージの大きさは、グローバルな環境破壊として顕在化。世界全体で、気候変動や自然災害、大規模火災、環境破壊、資源を巡る争いを生んでいる。
長い年月をかけ、生命を産み育て、奇跡的な恵みをもたらした地球がいま、危機に瀕している。柴田さんは、そうした地球の痛々しい姿を「喪失」としてテーマに据えたのである。
個展のタイトルにもあるように、「空」が象徴的に今回の作品では大きな役割を与えられている。絵画空間の広い部分を占める空のレイヤーの上に、記号的な形象や、テーマと関わる線描、絵具の層が重なり、イメージが喚起力を高めるのである。
縦約1.9m、横2.6mの大作「Lost… #1」で印象に残るのも、黒くくすんだ空である。汚染された大気を描きつつ、そこに絵具の物質的な荒っぽいストロークを介入させている。
その手前の重層するレイヤーには、窓枠や、布のイメージ、堆積したごみのような線描も見える。画面に描かれたタグには「perìcolo」(イタリア語で「危険」の意味)とかかれている。
別の作品においても、空を背景に、ごみ、はためく旗、渡鳥のイメージが繰り返し描かれている。大量生産・消費型の大規模な農畜産物生産を示唆する形象も見られる。
もっとも、たとえ、そうしたイメージを描いたとしても、柴田さんは、危機を声高に叫ぶのではなく、あくまで、絵画空間の中で静かに形象を響かせている。
主張が比較的強く出ているのは《smog town》のシリーズで、大気汚染物質による煙霧で汚れた街のイメージが描かれている。灰色になった人はうつ向きながら歩いている。
それでも、色彩の存在感とにじみ、滴りを強調した絵具や、線描を重ねるなど、レイヤーを丁寧に重ね、新たなイメージと絵画空間への探求を緩めることはない。
そうした絵画への姿勢が、解釈が図式的になることを回避している。
どこか幻想性を帯びながらも、単純にその世界に没入させるわけではない。絵画を豊かにするために、形式にも内容にも偏らないのである。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)