gallery N(名古屋) 2019年10月8〜22日
「あいちトリエンナーレ2019」に出かけた人は、愛知芸術文化センター8階愛知県美術館ギャラリーの通路に、横幅15メートルもの長大な絵画《Conflagration》があったのを覚えている人も多いと思う。藤原さんは、1994年生まれの若手。名古屋芸術大学で吉本作次さんの下で絵画を学んだ。gallery Nでは昨年に続いて、2回目の個展である。英国留学中に現地の指導者から、日本独特の文化を見直すように示唆を受け、「機動戦士ガンダム」「エヴァンゲリオン」などのアニメーションのエフェクトを引用した「爆発」を描き始めたという。トリエンナーレの絵画は、大変な力作で、爆発と言いながら、不穏さより、画面にみなぎるエネルギー、パワーを見る人に分有させるような訴求力を持っている。
今回の個展は、トリエンナーレ出品作や、昨年のgallery Nの個展の作品のような、画面に湧き上がる動感やエネルギーは見られない。黄や橙、赤などで描く爆発の表現がなく、むしろ全体に彩度を落としているのが特徴である。もう一つ、気になってしまったのが、個展のタイトルである。ふだん、タイトルにあまり意味を見出す必要もないとは思うのだが、この「ちからこそパワー!」というトートロジーはなんとも気になる。作者の深い意図を含んだ言葉なのだろうか。個展会場に並んだ作品を見てみる。
アクリル絵の具、グリッター(ラメ)を中心に、シルクスクリーンを併用した作品は、大きく二つのタイプがあるように思われる。一つは、青や赤、黄などの点描あるいはドリッピングを思わせる色彩の広がりが重なり浸食しあいながら、オールオーバーな地を形成し、輝く光の輪や、十字の光が描かれ、さらに流し込んだようなアンフォルムの青や赤の色面のレイヤーが描かれた作品、もう一つは、《Red》《Blue》と題され、グラデーションの色面に輪や十字が描かれた作品である。最もサイズの大きいタイトル未定の作品(1620×1300ミリ)の地は、青を基調としているが、下層から赤や緑がのぞいていて、点描に近い形で絵の具を重ねていったことが分かる。画面の右上からは、光線の軌跡のような幾筋もの線が伸び、光の十字が全体に散りばめられて、黄の輪や光線の放射も描かれている。今回の個展の中では、この作品がトリエンナーレの作品を含め、これまでの展開に近いと思われる。
絵画からは、爆発を象徴する強大な光の塊のような黄や橙の動きが見られず、むしろパワーは減じられた気もする。そうした爆発的なイメージを伝えていたのは、今回展示されたごく短い映像作品で、発光とスモーク、きらめく色彩がアニメーションで表現されている。
今回の絵画では、点描とアンフォルムの流し込み、ハードエッジに近い形で明瞭に描かれた、アニメーションのエフェクトを意識した光線、光の輪、十字などで丹念に絵画空間を作った感さえある。つまり、点描やグラデーションは地として後退し、光の十字は一方で空間の裂け目となり、他方で浮遊した印象を与える。光線や光の輪は明瞭なアクセントとなって存在し、明らかに空間の奥行きを知覚させるように作用している。同時に、絵画空間の中で、色彩が浸潤する地に対して、ハードエッジの光の輪や線、十字が手前にあることで動きが感じられ、時間感覚や、爆発か何かの現象が起こりそうな予感を生み出していることにも注目したい。
藤原さんの絵画は、その意味ではアニメーションを参照しながら、絵画空間への意識がしっかりとあり、フラットではない。また、今回の出品作に限れば、かつて描かれたアルパカのようなアイコン的な形象はなく、グリッターが効果的に使われながらも、色彩的には落ち着いた感じになっている。
今後、爆発的な強いイメージが再来するのかどうか。アニメーションのエフェクトをイメージの源泉にしながら、今回は、アニメーションにおける爆発のエフェクトの瞬間性を絵画として成立させるより、その発生の予兆と時間性、静かな動きと奥行きのある空間性を意識した作品になっている。
爆発の絵画は、イメージとしてはまさにパワフルで作家の力と個性を感じさせる部分である。同時に、もしも、爆発に何らかの象徴性を持たせて世界の紛争、大事故、災害、あるいは、それらに伴う世界のカタストロフィ、人類の不安をテーマにするなら、より深い洞察とイメージが求められてくる。