Gallery NAO MASAKI(名古屋) 2019年8月31日〜9月15日
1979年、名古屋市生まれの大森準平が海外を意識する中で逆説的に目を向けたのが「日本」だった。ここ10年ほど取り組むのは、豊かな立体的装飾に富んだ縄文時代の火焔型土器の現代版。大森は、岡本太郎がそうであったように、衝撃を持ってこの土器に出合い、自らの作品に取り込んだ。
火焔型土器の原始的な造形美は、しなやかな曲線、S字のうねり、渦巻き、とりわけ、炎が燃え上がるような上部の大きな突起で特徴付けられる。非常にデコラティブで使いにくかっただろうに、と思うのだが、煮炊きに使われ、儀式の際にもしつらえられたようである。
大森の制作過程は、とてもユニーク。まず、実際の火焔型土器を下敷きに装飾模様に手を加えながら模倣再現し、次に、できた土器を落下させて破損させる。割れたそれぞれの破片に違う色を付け、金継ぎの要領で元の形に戻して焼成する。今回、画廊スペースの真ん中に置いた高さ140センチの大作など、大型のものは落下させるのが難しいため、力を加えて割った後、色を付けてから破片の状態のまま窯に入れ、パーツを取り出してから元の形に組み立てるが、基本的な制作の流れは同じ。割って、色を付け、再構築するのである。
金彩、銀彩などのほかに、目立つのは発色のいい米国製の釉薬である。黄や赤、青など鮮やかな原色系。ポップな雰囲気が出て、しっとりした微妙な風合いはないが、玩具のイメージに近くなる。大森が初めて、縄文土器風の作品を作ったときは、赤一色で色付けした。窯出しの際、複雑な造形美と赤色が一体になった作品を見て、新しい方向性が決まった。赤く塗り込められた入り組んだ造形は、どこか異形な物体として異彩を放っている。
なぜ、わざわざ破損させてから組み立てるのか。例えば、古墳で出土した土器や、発掘された化石などが完形でなければ、欠損した部分は石膏や樹脂で補い、修復する。何千年も前の出土遺物の破片と、現代の素材が一緒になることで元の形に戻すのだが、大森の場合は、太古と現代をつなぐという意味では同じでも、むしろ、狙いは、ズレや歪みを帯びた、原形とは違う新たな創作物を目指すことである。バラバラになったものを組み立て、焼くことで、個々の破片の収縮度の違いによって、微妙なズレ、歪みが生じ、そうした形の変化が作品に豊かさをまとわせるという焼き物ならではの面白さがあるのだ。
大森は、京都精華大で陶芸を学んだ。当初は、野焼きの延長で焼成中に松葉で燻して素地に煙を吸わせる黒陶を制作。当時から、日本をテーマに、機動戦士ガンダムやウルトラマンのキャラクターを抽象化したアイコンや家紋などのシンボリックなモチーフで制作していた。ただ、磨いて発色をよくする黒陶では、複雑な形態はできない。9年ほど黒陶に取り組んだ後、反動的に複雑な形態に向かう中で、新たに取り組んだテーマが火焔型土器だった。
室町時代に始まったとされる金継ぎは、欠けた陶器を漆で接着し、つなぎ目に金粉や銀粉で装飾して修復する方法。そこに芸術的な価値も見出されたが、漆による器物の修復は、もっと以前からある。単に直す以上に、再生によって新たな価値が吹き込まれ、風情、情趣を生み出す。こうして、大森の作品は、縄文を土台に、割ることでしか生まれない新たなテクスチャーを生み、縄文と現代、金継ぎと焼成、日本と米国などが結び合った、ハイブリッドな作品となる。
とりわけ、米国で一般的なセラミック用の顔料は、日本にはない発色と色合いで、縄文土器との融合が意表を突いている。太古の原始的な造形がカラフルな色彩を伴うと、大森が以前、取り組んできたキャラクターに似てくるのが興味深い。
縄文土器という形態がまとう米国風の鮮やかな色彩と、部分的に使われた金彩や銀彩などとの組み合わせも、破片がつながれた時の歪みも、予期せぬ効果を生んでいる。展示では、落下・粉砕する前の火焔型土器の模倣作品や、ばらばらに割った後に着色した破片の山も展示し、制作過程が分かるようにしている。
つながりと再生による新たな価値の創造が、大森の作品を貫く発想である。2016年に、12時間にも及ぶがんの手術で、全てが入れ替わるほど大量の輸血を受けた大森にとって、つながりによる再生は自分自身が体験したことでもある。原初的な土器の装飾が新しい思考を注がれ、さまざまなものとつながることで、創作の可能性として蘇る。土を触るという大森の日々の創作は小さな営みかもしれないが、その実践は、地下水脈で大きなものとつながっている。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)