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先間康博 long tale

Gallery HAM(名古屋) 2019年5月18日〜6月29日

 先間さんはここ10年以上、ずっとリンゴ園を撮り続けている。長野県の飯田市周辺から北上し、長野市辺りで撮影した後、最近はもっぱら津軽平野まで出かけるらしい。リンゴ園が多く連なり、広く視野が取れるのが津軽の良さだという。
なぜ、先間さんはこうもリンゴ園に通い続けるのか。作品を見た限り、その風景はリンゴ生産農家の仕事場にすぎず、フォトジェニックでない。なぜそれをしつこいほどに撮るのか。多くの人が尋ねたように、改めて聞いてみた。
 説明自体はたぶん、平凡なものだし、そうとしか答えられないのだろう。曰く、「リンゴ園は常に変わっていくので飽きることがない」。樹木の成長、光、場所、そして先間さん自身とリンゴ園との関係性が変わる。他人には取るに足らないもの、同じものに見えるリンゴ園も、先間さんの目には常に新しい。先間さんの頭にはこうした夥しい残像のアーカイブができている。同じ場所だとしても同じ撮影環境ではないから、常に異なる対象になる。星々が闇に散らばる宇宙のような全体性と均質性をもつ、この風景にもいつも「違うこと」が起きている。先間さんにとって、樹木の存在感や控えめながら変化に富んだ地形、繁茂する葉と赤いリンゴの果実などリンゴ園の風景が他に代替できないものになった。

先間康博さんの作品

 先間さんは、広大なリンゴ園が左右に広がる道に車を走らせ、行きつ戻りつ、車を降りて歩いては撮影ポイントを探す。歩くという動きもここでは重要な要素の気がする。「歩みながら風景を見ること。それは、目線だけでななく、身体の移動も伴って、木々の時空を果てしなく彷徨う」(先間さん)。先間さんにとって、こうした風景はただ対象として見るだけでなく、自分の意識が厚みのある空間の中に入って見られる存在になるようなものになっている。
 撮影する時間は、一連の流れの一部でしかなく、だが、それゆえに頭の中の記憶のアーカイブの中に差し挟まれ、過去の撮影とこれから撮るであろう撮影との間で意識が研ぎ澄まされていく。身体の移動と、目の水平移動、そして撮影の時間は、先間さんにとってすこぶる自由で豊かなものだ。見ることを深める時間であり、日常の喧騒を離れ、孤独に沈潜できる時間でもある。
 その意味で、先間さんが人物は撮らないというのはよく分かる。人物は背景から図として浮き出すぎて、それぞれの個性も強いので、その中に入っていけないし、風景の中で目線と意識が戯れることもできない。風景を撮るにしても、壮大な、劇的な、あるいは崇高なピクチャレスクな風景であってはならない。それはありがたがって鑑賞するものであっても、見る者の意識が中に入ることを拒絶しかねない。同様に強い、猥雑な風景も拒否されるだろう。風景の中に入ってきてほしい先間さんにとって、何気ない風景であることが肝要である。

先間康博さんの作品

 先間さんは書く。「卓上の瓶を描き続けたジョルジョ・モランディの如く、変わらぬものの変化に、見ることの本質を見いだせるような気がしている」と。ただただ繰り返される静穏な風景の中にも豊かなカオスが広がり、それは一回性の出来事に違いない。繁茂する緑葉や樹勢、赤い果実と空隙が織りなす繊細な旋律がそこかしこにしのびこんでいる。
 今回は、水平移動による絵巻物のようなパノラミックな横長の枠組みがテーマになっている。フレーム入りの作品は、上下を広く撮影し、後で上空と手前の近景をカットする前提で撮影している。一方、アクリル板に入った作品は、ポジフィルムをスキャンし、ラムダプリントでデジタルデータをレーザー露光によって銀塩感光させた。防風用のネットとともに写した作品や、黄色の食用菊を手前に配した作品もある。
 《long tale》と題されたこの個展では、意識的に歩きながら目の移動に合わせて瞬時に表情を変化させていく様相を横長のフレームで展示した。水平移動しながら絶えず記憶のアーカイブ、過ぎ去った風景の断片を振り返り、意識を集中させる。たった今撮ったものと追憶の風景、未知の風景がせめぎ合い、それらが一つに繋がり、瞬間の連なりが意識の物語のように立ち現れてくる。先間さんの意識は、風景の中に入って、今撮った写真から、そこから連なる風景の広がり、シークエンスの中へとさらに歩を進めているのだ。

 風景のシークエンスを意識が彷徨するには、風景が一定の大きな全体性を持っていないとできないから、広大なリンゴ園のアーカイブが必要である。先間さんはその中に入り、意識を空間に集中する。一つ一つの風景を撮り、風景のアーカイブを集積していくことで、見ることのできない全体、宇宙を見ようと希求しているのかもしれない。

先間康博さんのギャラリーHAMの個展
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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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