AIN SOPH DISPATCH(名古屋) 2021年8月21日〜9月11日
ふるかはひでたか | Hidetaka Furukawa
ふるかはひでたかさんは1968年、愛知県刈谷市生まれ。1992年に東京藝術大学油画専攻を卒業。1994年、東京藝術大学大学院美術研究科壁画専攻修士課程修了。
ふるかはさんは、とても幅広い作品を展開してきたが、近年、注目されているのは、土地の歴史を掘り下げながら、現代とつなげ、絵画や立体、インスタレーションなどとして展開させる作品である。
フィールドワーク、近世の絵画史料、文献資料などを駆使し、卓抜した描写力による絵画で、博物学、社会学、歴史学、サブカルチャーなどと美術を結びつける手法によって、見えない時間や空間、事物の関係性が分析的に明らかにされる。
もっとも、起点は美術的なまなざしである。ふるかはさんが目撃したうつろいゆく現代の風景は、美術史上の記憶や絵画空間のイメージへと重なり、独自のクリエーションを生みだす。
美術的なまなざしと、考古学的なまなざしが交差し、風景が記憶と歴史、物と言葉、イメージへと連鎖し、美術的、空間的、詩的に構成されるさまは、スリリングである。
そのあたりの過去の作品については、2000年の「ふるかはひでたか展 なうふ現代(岐阜)」も参照してほしい。
” 忘却の透視図法 “
今回は、主に東京の三越百貨店などで展示してきた2016年から2020年までの作品を再構成した展示で、東京まで足を運べなかった鑑賞者には、ありがたい企画である。
近年のふるかはさんの、おおよその作品の展開を確認することもできる。
ふるかはさんは、ホテル「パークホテル東京」の3111号室に2016年、アーティストルーム「江戸-東京」の部屋を完成させた。現代の東京の景色と、歌川広重が描いた浮世絵から引用した同じ場所の名所絵が重ねられている。
これが、その後の「江戸-東京」シリーズ展開の端緒となった。今回は、同時期に描いた作品3点のうちの1つ、ホテルの窓から見た東京マラソンを描いた作品も出品されている。
このホテルでの仕事が契機となり、タウン誌「月刊日本橋」への文と絵の連載が決まる。2017年6月号から2019年12月号まで連載された作品は、江戸や日本橋をテーマにしつつ、風景、食や大衆文化、風俗、社会など多角的な視点で描かれている。
これらの作品は、一捻りしてあるというか、知的な遊び心があり、タイトルを含めてユーモラスである。
そして、これは、ふるかはさんの作品全般に言えることだが、精緻、繊細な描出は、匂い立つほど生々しく、作品や部分によって技法を工夫して描き分け、手を抜くことがない。
ふるかはさんは、写真を見て描くことが多いが、単に「写真のように描く」だけでなく、素材や切り口、知的なたくらみによって、描き方を変えている。
共通するのは、江戸-東京という土地に宿る地霊(ゲニウス・ロキ)というのか、時間軸を超え、過去から現代へと地続きの都市の特質をテーマ化しているところである。
「ふるかはひでたか展 なうふ現代(岐阜)」を読んでいただくと分かるように、このゲニウス・ロキ的な発想は、ふるかはさんの過去の作品にも共通するものである。
2019年には、日本橋三越本店のアートスポットで個展「江戸東京パースペクティブ」を開催。
このときは、江戸時代の文化2(1805)年の江戸日本橋を描いた作者不明の絵巻『熈代勝覧』から着想し、絵巻に描かれた場所と同じ空間の現代の風景をモチーフに、連作『東京熈代勝覧』を発表した。
今回は、このうち4点が展示されている。
『熈代勝覧』はベルリン国立アジア美術館に収蔵されている。
日本橋から今川橋までの現在の中央通りに当たる764mを東から俯瞰した構図で描いているが、ふるかはさんの作品では、人々のせわしない往来や、工事の重機、三越百貨店のショーウインドウなどが描かれ、とても興味深い。
この連作では、それぞれは別々の絵画であるが、縦の長さをそろえているので、現代の絵巻物のようになっている。
2020年の銀座三越での個展「東京—遷ろう景色—」に出品した作品も面白い。
この年は、もともと東京五輪の開催が予定されていたこともあって、ふるかはさんは、外国人も意識した作品を展示した。現代の東京をヴィヴィッドに伝えるため、さまざまなアイデアが盛り込まれているのが特徴である。
漫画のコマ割りを意識した画面構成にしてあるのも、その1つ。外国人向けに日本のサブカルチャーを盛り込みつつ、画面を分割してずらすなど視覚的なたくらみが加えられている。
画面にオレンジ色の縦線を介入させた「銀座 cityscape」では、写真的な描写に抽象的な幾何学性を加えることで異化効果を生んでいる。
あえて画面に余白を入れたり、都市のガラスの反射を組み込んだりと飽きさせることがない。
変貌著しい東京の「今」を描きとめ、サブカルチャー的な要素や、イメージの操作も絡めながら、「東京らしさ」を再構成しようという目論みである。
「Road to BABEL」では、漫画のコマ割りのように画面を4分割した上で、画面を傾けている。
コマがわずかにずれていることで、回転するような動きと、ばたつくような不安定感が生まれ、写真のようにリアルに描きながら、フィクション性が増している。
さらに、視線が画面の中心に向かうとともに、右下の自動車が前方の高層建築物に向かう構図の強調された遠近感によって、視覚を惑わすようなざわめきがある。
「東京運河『et-ict II』」は、都市空間を入れ子にした実験的な作品である。江戸橋の首都高の橋脚部分が描かれているが、左下を矩形で仕切り、同じ風景を小さく描いたものを挿入している。
大きい風景と小さい入れ子の風景が微妙につながるように描かれているため、視覚が混乱する。下を流れる日本橋川の流水紋がデザイン性を強調して描かれ、連続したように見えることから、いっそう不思議な感覚に導かれる。
ふるかはさんによると、1964年の東京五輪前後、工期の短縮を求められて計画された首都高は、用地買収を減らそうと、河川や運河の上に建造されたため、江戸時代の水運物流の動線をなぞっている。
ふるかはさんが、首都高を描くのも、そうした背景がある。目まぐるしく景色が変わっても、土地の記憶は残っているのである。
9月3日から展示入れ替え予定。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)