黒田直美(ライター)
心落ち着く静寂の彼方へ
お気に入りの空間でいただく一服は、慌ただしい日常から、心落ち着く静寂の彼方へと誘 ってくれます。
名古屋駅から地下鉄・東山線に乗り、池下駅から徒歩 5 分。閑静な住宅街に建つ古川美術館・為三郎記念館は、私にとってまさにそんな場所です。
実業家であった故・古川為三郎が近代日本画を中心に、油彩画、陶磁器、工芸品など2,800点余の美術品を蒐集し、1991(平成3)年に広く一般の方に楽しんでもらおうと、古川美術館として開館しました。
また、自身が1945(昭和20)年から住居として使用していた数寄屋造りの自宅も1995(平成7)年に為三郎記念館として開放。
美術品を楽しみながら庭園を眺め、くつろぎの一服に癒やされるなど、邸宅に招かれたようなゆったりとした贅沢な時間を過ごすことができます。
「さぁ、旅へ出よう」は新たな絵画体験を堪能できる
今回の古川美術館の企画展「さぁ、旅へ出よう」では、新型コロナウィルス以降、遠くへ旅することのできなく なった私たちに、「絵画旅行」という新たな楽しみを提案してくれています。
街の喧騒から離れ、静かな空間の中で旅気分を味わう。古川美術館学芸員の早川祥子さんに絵画の見どころとこの企画展への想いを伺いました。
作家の目線から見る景色は違った感動を与えてくれる
作家の目線でその土地の魅力を知る。映像などでよく見る風景も、かつて自分が訪れた場 所も、作家の目を通して描かれた絵からは、また違った雰囲気が漂ってきます。
「プロローグ~まだ見ぬ世界へ~」と題し、最初に展示されているのは、白日会の重鎮であった深澤孝哉が描く「教会のある風景」です。
学芸員の早川さんは「ゴッホの研究をしてきた深澤孝哉だけあって、ゴッホを彷彿とさせ る力強い筆致で表現された素晴らしい作品です。彼の特徴である幅の広い筆触の点描と近似色の対比で、見事に遠近感を描きだしています」と話します。
ちょっとくすんだ空の色が乾いたヨーロッパの雰囲気を醸し出し、「静」である教会 と生き生きとした植物の「動」のコントラストがリアルな風景となって迫ります。
旅へのプロ ローグにふさわしい一枚です。
一枚のキャンバスから、多彩な街の色合いがにじみ出る
フランスは、誰もが一度、訪れてみたいと思う場所。芸術家たちが恋したパリをはじめ、 美しい自然や優雅な宮殿、洗練された街並など、そこに佇めば、誰もが映画のワンシーンの中にいるような錯覚に陥ります。
村山きおえ「夕映えの Beziers」は、城塞都市カルソンヌにある街、ベジエを描いた作品 。
早川さんは「ここは進撃の巨人のモデルになった場所ともいわれているように、堅牢な城壁に囲まれています。実際にある場所なのですが、どこか幻想的な雰囲気も感じさせてくれます。 雲を赤くすることで、刻々と変わる太陽の美しさを表現しています」と説明します。
旅はロマンチックな気分を盛り上げてくれますが、夕映えはさらに、一瞬という旅の切なさも感じさせてくれます。
憧れのパリも作家が描くと十人十色の風景に
「芸術の国~フランスへ!」をテーマに展示された作品は、ノートルダム寺院やエッフェ ル塔、セーヌ川に、モレ―湖畔といった、まさにフランスを象徴するスポットが描かれ、 さまざまな情景や雑踏の喧騒が浮かび上がってきます。
「豊橋市出身の画家、大久保泰は、野口彌太郎を知り、銀行員を辞めて風景画家になりま した。実際にフランスに行き、現場にキャンバスを立てて描いていて、パリの雰囲気を随所に感じさせてくれる作品が多数あります」
早川さんは「セーヌに一番最初に架けられたというノートルダムの橋を描いた作品は、流れる川と流れる雲という違う二つの流れの勢いをうまく表現しています。また、車の色に、フランス国旗の赤や青を差し色として使っているとてもオシャレな作品だなと感じます」と続けます。
そして、映画や写真で見たことのある風景でも、パリの雑踏を描く人気作家、児玉幸雄の「ル ー・ド・セーヌ」や梅原龍三郎の「巴里の風景—セーヌ河岸よりモンマルトル、サクレ・ クールを望む」など、画家がこよなく愛したパリは、私たちにいつもと違う旅時間を与えてくれるようです。
五感が研ぎ澄まされる風景画が私たちに問いかけてくれるもの
今回の企画に沿った作品を選び、その背景を調べるのが楽しかったという学芸員の早川さ ん。
「いろいろな作家の方の絵画をこういう形で展示したのも、「さぁ、旅へ出よう」というカジュアルなテーマにしたのも今回が初めてでしたが、それぞれの作家の個性が引き立ち、次はどんな場所の絵だろうと、楽しみながら見ることのできる展覧会になった思います」と語ってくれました。
好きな作家や、知っている作品を見る展示も楽しいですが、テーマに引き寄せられて全く知 らなかった作家の作品に出会えるというのも、楽しいものだと感じました。
まさに、ガイドブックに載っていない場所を訪れたときの偶然な出会いのような驚きや発見に似ています。
作家たちは、ヨーロッパ各地の美しい都の一風景を切り取った後、熟成させて、自らの表 現として、その情景を絵に投影します。
野口彌太郎の「ベニスの風景」は、まさにそのエッ センスを抜き出し、抽象化した快作。
自分の知っているベニスではない、また違った趣のベニスとの出会いも、絵画を見る楽しみの一つと言えるかもしれません。
地球の裏側、南米のグァテマラやブラジルを描いた絵からは、プリミティブな力強さやダ イナミックさが伝わってきます。
名古屋市出身の加藤金一郎の描く「タスコの遠望」は、メキシコで初めて銀山が見つかり、シルバーラッシュに沸いた街を遠景で描いています。
大自然の中にあるスペインコロニアル調の街並み、そこに建てられた大聖堂の美しさは、歴 史の変遷も感じさせる印象深い絵。
また、市場の喧騒とは違った静寂感漂う吉井淳二の描く「リオの市場」は、鼻が悪く、臭いがわかりにくかったという作家自身の感覚から、私たちが知るリオとは別の雰囲気が感じられ ます。
今回は、スイスやイタリア、スペインに、ブラジルやグァテマラ、そして中国からインド、日本と、世界をぐるりと旅することのできる展示内容となっています。
日常と非日常を行き来できる美術館
絵画を満喫したら、隣接する為三郎記念館へ。
絵画を見るだけでなく、建物の景観や、これらの絵画を飾っていた室内を見ることによって、また違った観点でイメージを膨らませることができます。
作品を蒐集した故・古川為三郎がどんな影響を受け、感性を刺激されたのか。そん なことを考えてみるのも面白いかもしれません。
最後に、早川さんに好きな作品を選んでいただきました。
「私が一番好きなのは大久保泰『リラ咲くムードンの丘』。フランスで愛されているリラと、エッフェル塔の遥か彼方、パリの小高い山に建つ純白のサクラ・ クールが描かれていて、まるごとパリ、フランスを味わえる作品だと思います。リラが咲いていて、その色で空が染まっています。こんなに素敵な絵を描いた方が郷土にいたということを知ってもらえる機会にもなったらと思っています」
ちょっと心を潤しに美術館へ。知らない作家と出会うこともまた美術館を訪れる楽しみの一つです。それが自分自身の心の豊かさにつながると改めて感じることができました。
新型コロナウィルスの影響で失った時間も多いけれど、当たり前の日常や海外旅行がとても貴重なものだったと思い返すきっかけにもなりました。
絵画旅行、 ぜひおすすめします!
古川美術館『さぁ、旅へ出よう。楽しく、絵画旅行』
会 期:2022年4月23日(土)~6月19日(日)
住 所:名古屋市千種区池下町 2-50
開館時間:10 時~17 時(入館は 16 時 30 分まで)
入 館 料:大人 1,000 円、高校・大学生 500 円、中学生以下無料
※分館為三郎記念館との共通券
休 館 日:月曜日