長者町コットンビルGROUND (名古屋) 2022年9月17日〜10月1日
OPEN 木金土日曜日
舩戸彩子
舩戸彩子さんは1990年、愛知県生まれ。2018年に京都市立芸術大学大学院美術研究科絵画専攻(油画) を修了した。現在は京都府在住。
日常の生活の中で何気なく目にするものの「それらしさ」を、色や形、構図のパターンを抽出して描く作家である。
私たちは、メディアを通じて、あるいは、直接的に、その視覚体験のパターンに慣らされていく。そんなあいまいな規則性をずらしながら見せていく。
対象となるのは、テレビの2時間ドラマの殺害現場の場面、ビキニ姿の若い女性の肢体が大写しになった「ヤングマガジン」誌の表紙、アダルト雑誌の裸体女性の肌色や髪の配置、「神の御言葉」を世に伝える団体によって街中に設置された「キリスト看板」など。
一部に、受胎告知など、キリスト教の主題を描いた宗教絵画の色の配置、構図を抽出し、静物で置き換えた作品もあるが、多くはキッチュなものである。
つまり、舩戸さんの作品は、聖俗を超えてニュートラルに題材を選び、その視覚情報を変換したパスティーシュともいえるものである。
確かに「そう見える」が、どこかあいまいとしたイメージの「きわ」を狙っている。細部を目にすると、不明な部分や矛盾が浮き上がるが、同時に、一度、そう見てしまうと、「それらしさ」から逃れられない。そんなパターンを見事に抽出したイメージである。
それは、私たちが普段、知らないうちに反復して眺めることで刷り込まれたイメージが頭の中で再起動されたもの、個別性を欠いた像のパターンである。
舩戸さんは、そうした類型イメージが持つ構図、色や形、文字のパターンを抽出しながら、別の支持体や空間に置き換えることで、見る者の視覚と認知作用に揺さぶりをかける。
目撃された軽さ 見せかけの穴にはまったのは誰
今回、舩戸さんが取り上げたのは、テレビの2時間ドラマである。2時間サスペンスといわれるドラマの形態は、お約束のパターンで成り立っていて、そのシーンの型が繰り返されることで、逆説的に視聴者から支持を受ける。水戸黄門の紋所シーンと同じである。
舩戸さんは、繰り返される殺害現場の死体のイメージから、共通する構図や色、形のパターンを捉えて即興的な筆致に置き換えている。荒れたスピーディーな筆触が特徴である。
スケールを変えて、会場の白い壁に拡大してダイナミックに描いた作品もある。あるいは、連作として反復させたり、1つのイメージを2つの支持体に分割して描いたりしている。
それらの場面は、繰り返し生産され、フローとして消えていく非日常的なイメージ、消費的なささやかな視覚情報に過ぎず、現実ではない模造、虚像である。そもそも、私たちは、おそらく、一生のうちで、殺害現場の死体を直接見ることがないのだから。
なのに、それがあたかも、「それらしさ」を伴っている。抽出され、再編された色や形、構図のパターンが、鑑賞者の頭の中で固定した解釈に接続してしまう。
ある意味で、私たちは、ドラマで繰り返される典型的パターンを通じて、それを本物の殺害現場の死体と思い込んでいるふしさえある。
舩戸さんの作品は、現実と虚のイメージを撹乱するが、それを美術的なものとして、シンプルな色、形、構図、筆触に還元しているところが、ユニークである。
今回は出品されていないが、以前、筆者が見た「キリスト看板」の作品では、黒字に白と黄の、いかにもそれらしい字体で聖書の一節が描かれ、日本各地の民家の壁や塀などに貼られた看板のイメージを見事に再現していた。
舩戸さんは、この看板の視覚パターンを作品化しつつ、わざと文字が重なるように描き、実際の言葉の意味内容は分からないようにしている。
それでも、見る者の誰もが一瞥するだけで「例のあのキリスト看板」だと認識できるように描いているところに、この作家のやりたいことが見えてくる。
意味や情報が捨象された模造的イメージが突き出すものを、私たちは、どう認知するか。その探求を美術の文脈でユニークに実践している。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)