世界の演劇のトップランナーが集結
SPAC-静岡県舞台芸術センターは、2020年4月25日〜5月6日、静岡芸術劇場、舞台芸術公園、駿府城公園などで開催する「ふじのくに⇄せかい演劇祭 2020」の全ラインナップの詳細を発表した。
なお、新型コロナウイルスの影響で、政府が欧州からの入国制限を発表したのを受け、海外招聘演目5作品については現在、チケットの販売が一時停止されている。詳細は演劇祭のWEBサイトで。主催者は引き続き、招聘団体と連絡を取りながら調整を重ねている。5作品は『空を飛べたなら』『終わらない旅 ~われわれのオデッセイ~』『愛が勝つおはなし』『OUTSIDE -レン・ハンの詩に基づく』『私のコロンビーヌ』。
『おちょこの傘持つメリー・ポピンズ』と『アンティゴネ』は、感染予防の対策を十分に実施した上で予定通り上演する方向という。
静岡市で2月下旬に開かれた会見で、SPAC芸術総監督の宮城聰さんは「世界でも日本でも多くの人たちが不遇感を膨らませている。世界にいろいろな状況の人たちがいることを演劇を通じて見てもらいたい。不満、憤まんをアイデンティティに異質なものを視野から排除しないでほしい」と述べ、とりわけ、ロシアで軟禁状態にあるキリル・セレブレンニコフ の作品『OUTSIDE -レン・ハンの詩に基づく』について「後半、俳優が全員全裸なので日本では上演困難かと考えたが、これほどの作品を紹介できずに演劇祭をやっている価値があるのか。これだけは、どうしても見てほしいと思った」と語った。
演劇祭で上演されるのは全 6 作品。フランスのワジディ・ムアワッドさん、オリヴィエ・ピィさん、 ロシアのキリル・セレブレンニコフさんなど、世界の演劇シーンをリードする演出家たちの日本初演作が並ぶ。SPACの芸術総監督、宮城聰さんは、唐十郎の伝説的戯曲『おちょこの傘持つメリー・ポピンズ』の新作を野外劇として発表する。
同時期に駿府城公園で上演される「アンティゴネ 」については「アンティゴネ SPACが5月2〜5日、静岡・駿府城公園で凱旋公演」、「ストリートシアターフェス ストレンジシード静岡」については、「ストレンジシード静岡 今年も開催 2020年5月2〜5日」。また、アンティゴネ のニューヨーク公演については、「SPAC 『アンティゴネ』ニューヨークで大反響」。一般前売り開始は3 月 8 日。詳細は、2月中旬に開設する特設サイトで。
上演全ラインナップは次の通り。
—静岡芸術劇場—
日本初演|演劇 from パリ
ワジディ・ムアワッド
『空を飛べたなら』
家族と分断を描く超大作が開幕を飾る。ワジディ・ムアワッド は、レバノンに生まれ、フランスに亡命後、カナダに渡った、世界が認める劇作家、演出家だ。「頼むから静かに死んでくれ」「炎 アンサンディ」などのドラマで知られ、2016年の「ふじのくに⇄せかい演劇祭」では、自ら出演する気宇壮大な一人芝居「火傷するほど独り」を日本初演。『空を飛べたなら』は、 2016年、パリ・コリーヌ国立劇場芸術監督になったムアワッドの就任第一作で、最大のヒット作。
ニューヨークで出会ったユダヤ系ドイツ人青年と、アラブ系米国人女性との禁断の恋。二人は、家族の出自の秘密を追い、イスラエルでテロ事件に巻き込まれる。そこに駆けつけた家族は「真実」に引き裂かれ‥。
ドイツ語、英語、ヘブライ語、アラビア語が次々と飛び交う会話。言語は、友と敵とを隔てる壁でもある。深く身を切られるような劇体験、とめどない分断の地の空に放たれる言葉が見る者を震わせるサスペンスフルな4時間。
宮城聰さんは会見で、作品について「難しい問題を扱っているように思えるが、ハリウッドのシナリオライターのようにお話が書ける作家。カンヌ国際映画祭というよりアカデミー賞の受賞作に近い。今回も、ハラハラドキドキさせる展開がある」と紹介した。その上で、ムアワッドさんは誰もが知っている物語の雛形を使うとして、「炎 アンサンディ」が「オイディプス王」の構造であるように、今回の「空を飛べたなら」は「ロミオとジュリエット」のフレームがあると解説。作品のテーマについては、「人間の所属は、そんな簡単に切り分けられるものではない。一人一人を見ていくと、どこに属しているのか分からないのが人間なんだと」と付け加えた。
日本初演|演劇 from アヴィニョン
オリヴィエ・ピィ
オリヴィエ・ピィのグリム童話
『愛が勝つおはなし ~マレーヌ姫~』
演出家、劇作家のみならず、アヴィニョン演劇祭のディレクターとしても活躍するオリヴィエ・ピィ。本作は、詩的な言葉と音楽で彩られる「オリヴィエ・ピィのグリム童話」の最新作(4作目)、全編を歌とピアノで紡ぐオペレッタである。
歌い奏でられる魅惑的なグリム童話『マレーヌ姫』の世界。美しく快活なマレーヌ姫は隣国の王子と惹かれ合うも、国を豊かにするため隣国との戦争を宣言する王様の反対にあい、7年間、塔の中に閉じ込められる。やっとの思いで塔から出た姫の前に広がっていたのは、争いで荒れ果てた大地だった‥。
国は? 家族は? 隣国の王子は? 愛と行動力にあふれる姫がたどり着いた先には—。ノスタルジックなメロディーが音楽家でもある俳優たちの豊かな歌唱とピアノ、チェロの音色に乗り、遊び心あふれる舞台美術はドラマチックに物語を運ぶ。子供も大人も心をつかまれる。
宮城さんは会見で、「ピィさんの演劇の本質は、演劇に恋をした人間の永遠のラブレターである。ピィさんの芝居を見ると、自分も演劇に恋をした頃の出発点を思い出す。虚飾を排して、何もないところからファンタジーが生まれる。そんな演劇の核になるものを作品にしてくれた」と話した。
日本初演|演劇 from モスクワ
キリル・セレブレンニコフ
『OUTSIDE -レン・ハンの詩に基づく』
今、最も注目される演出家、映画監督のキリル・セレブレンニコフ が、ロシア政府によって軟禁状態に置かれた状況下、外の世界へと放った衝撃の最新作。時代の寵児による中国の写真家レン・ハンへの大いなるオマージュである。
2012年、ゴーゴリ・センター芸術監督に就任。ロシアはもとより、欧州の主要な劇場でオペラ、バレエを演出し、国際的な評価が高い。17年にボリショイ・バレエで初演された「ヌレエフ」が、バレエ界最高峰のブノワ賞で、振付、作曲、舞台美術、男性ダンサーの主要4部門を独占。映画監督としても、ローマ、ロカルノ、ベネチア、カンヌなどに出品し、18年のカンヌ国際映画祭での「不在」は、図らずも話題をさらうことになった。
キリル・セレブレンニコフを虜にしたのは、写真家レン・ハンが遺した数々の詩だった。性を扱うことがタブーとされる中国で、ポエティックな美しさをまとう人間本来の姿を撮り続け、29歳で自らこの世を去った。彼が日々、綴った愛と死、性と孤独への言葉に、眩いほどの音楽とダンス、そして権力への抵抗が乱反射する。
とあるアパートの一室に閉じ込められた男。窓の外から差し込む光によって、男の影が壁に映し出されている。その影は、レン・ハンへと姿を変え、男を外の世界へと誘う。明滅するイメージのように現れる巨大な尻と象のような脚をもつダンサー。ロバートと名乗る米国人写真家との出会い、そして、レン・ハンの死を否定し続ける母親。弾圧を受けながらも、母国と家族を愛し、大空へと飛び立ったレン・ハンが導く先は—。
2人のアーティストの共鳴によって紡がれる、最高にピュアでナイーブ、何よりも圧倒的な「美」があふれ出す。
宮城さんは、会見で、「キリル・セレブレンニコフさんがプーチン大統領の批判らしきことをしたという理由で裁判にかけられ、自宅軟禁状態にあることは数年前に聞いた。一昨年の秋冬には、パリの劇場に『キリル・セレブレンニコフを解放せよ』という演劇人の声明文が貼ってあった。1年ほど前、アヴィニョン演劇祭のプログラムが発表された時、キリル・セレブレンニコフの名前があったので、解放されたのかと思っていた」と振り返った。
実際は、そうではなかった。
宮城さんが7月の公演を見にいくと、リアルなワンルームマンションのようなセットで、キリル・セレブレンニコフの自伝のような演劇が始まった。宮城さんによると、レン・ハンの亡霊のようなものが現れ、その魂がメフィストフェレスのような役割を果たして、キリルの分身である主人公を異世界へと連れ出す。その時、レン・ハンの魂は「服を脱ぐんだ」と言う。本当に俳優たちが途中から全裸になる。その後、息をのむほど美しいシーンがある。それは、レン・ハンの写真からイメージを引用しているものだった。「そして、あまりにも美しく、しかも刺さる詩が語られる」
カーテンコールの後、出てきた俳優たちが着ているTシャツに「フリー キリル」と書いてあった。宮城さんによると、スカイプなどで自宅と稽古場をつなぎ、演出をしていたもよう。涙をこらえるのが大変だったという宮城さんは「これは、1人のアーティストにとって、一生に一回しか作れない作品。自分の苦境が詩に転化する瞬間が作品になっている。タルコフスキーの『ノスタルジア』のように。後半、俳優が全員全裸なので日本では上演困難かと考えたが、これほどの作品を紹介できずに演劇祭をやっている価値があるのか。これだけは、どうしても見てほしいと思った」と語った。
「ロシアと中国の前衛アーティストが『美』という一点でつながっていく。世界が一様であるというグローバリズムの幻想がある中、『美』を求めるということ自体が禁じられるという状況の人たちがいる。日本人アーティストが自分たちを見る鏡にもなる」と宮城さん。演劇祭では、レクチャー&パフォーマンスとして上演する。レン・ハンについてのレクチャーを聴いた上で、舞台を見ることを選択した特定の人だけが観劇できる仕組みをとっている。
日本初演|演劇・映画 from リオ・デ・ジャネイロ/ブリュッセル
クリスティアヌ・ジャタヒー
『終わらない旅 ~われわれのオデッセイ~』
クリスティアヌ・ジャタヒー の『終わらない旅 ~われわれのオデッセイ~』 は、映像と演劇、フィクションとリアルの境界を揺さぶる“現在”への旅。
古代ギリシャの詩人、ホメロスは、英雄オデュッセウスがトロイア戦争に駆り出され、帰還するまでの苦難の旅を「オデュッセイア」として描いた。王の留守中、財産を食い尽くす者たちから屋敷を守ろうとする妃ペネロペ、女神アテネに導かれて父を探す旅に出る息子テレマコス、侵略者から故郷を守ろうとする人や、安全な土地を探して国境を越える人。
ブラジル出身の演出家、映画監督のジャタヒーは、映像とライブパフォーマンスをその場でリミックスし、この古代ギリシャの長編叙事詩を現代の世界へと接続させる。パレスチナ、レバノン、ギリシャ、南アフリカ‥。彼女が向けたカメラには、各地でオデッセイ/長い旅を余儀なくされた人々が映り、叙事詩の一節とともに体験を語り出す。
客席の中に紛れた「人々」(俳優)の存在がそれを私たちの隣人のものとして体験させ、シームレスにつなげる。映画と演劇、フィクションとリアル。常に新たな表現へと境界線を旅するジャタヒーの注目作だ。
宮城さんは、会見で、「ジャタヒーさんは境界を越えていかねばならなかった人を描こうとする中で、映画と演劇の境界も越えるような手法をとった。ブラジルは、ユダヤ人を含め、多くの亡命者、越境者によってつくられた国でもある。それを生身の人間が語るという演劇の王道の1つとしてある」と語った。
—静岡県舞台芸術公園—
SPAC新作|演劇 from 静岡
唐十郎×宮城聰
『おちょこの傘持つメリー・ポピンズ』
SPAC が放つ舞台は、唐十郎の伝説的戯曲である『おちょこの傘持つメリー・ポピンズ』。1976年に状況劇場で初演された一幕劇を野外劇として甦らせる。
さびれた傘屋と営む若造「おちょこ」と、訳ありの男、檜垣の前に、メリー・ポピンズさながら突如として現れた謎の客、石川カナ。彼女は天使か、狂犬か—。70年代に世間を騒がせた日本歌謡界の一大スキャンダルに材を取った、嘘とまことが交錯する切ない犬死のエレジーである。カナに恋をするおちょこ、カナがかつて人気歌手の子供を産んだ挙句にショッキングな事件を起こした張本人だと気づく檜垣。カナを巡る謎は深まるばかりだ。おちょこと檜垣を巻き込みながら、物語は混乱の中へ—。
日本初演|演劇 from ジュネーブ/ルナン
オマール・ポラス
『私のコロンビーヌ』
1999年の「血の婚礼」以来、たびたびSPACに登場し、奇抜無類の舞台でファンを引きつけてきた俳優・演出家のオマール・ポラス。自ら出演する一人芝居『私のコロンビーヌ』は、 その舞台の魔術師が波乱万丈の人生を語り踊る、オマール[Omal]による愛[amor]の賛歌だ。
コロンビアの貧しい農家に生まれたオマール少年は、本屋の片隅でニーチェを読み、店主が語る芸術の街、パリに憧れを抱く。両親の反対を押し切って海を渡り、パリの地下鉄で無言の人形劇に勤しみ、日銭を稼ぐ日々‥。体から滲み出るラテンのリズムと逆境に屈しない明るさ、人生の機微を変幻自在に演じ分ける卓越した名人芸に、誰もが幸せのヒントをもらう。
宮城さんは会見で、「オマールさんの両親は字が読めなかった。オマールさんにとっては、文字を勉強すること、そして演劇は世界を知るための窓だった。そのことを僕たちも、もう一度思い出さないといけない」と述べた。