GALLERY CAPTION(岐阜市) 2022年11月12日~12月4
藤本由紀夫
藤本由紀夫さんは1950年、名古屋市生まれ。大阪芸術大学音楽科卒業。大阪市在住。
1970年代から、エレクトロニクスを利用したパフォーマンスやインスタレーションを展開。1986年頃からは、オルゴールと身の周りの日常品とを組み合わせたサウンド・オブジェによって音をかたちとして捉え、人間の知覚を従来とは異なる方法で喚起した。
音や光など、目に見えないものをさまざまな手法を用いて顕在化することで、「見ること」「聴くこと」とは何かを問い掛けた。視覚や聴覚など知覚の在りようそのものに目を向けながら、世界との関係を問い直している。
国内外のギャラリー、美術館で作品を発表。国内では、東京のシュウゴアーツ等で継続的に個展を開催している。
東海圏では、ギャラリーキャプションで個展を開いている。今回は、9年ぶり8回目のキャプションでの個展である。
2001年には、第49回ヴェニス・ビエンナーレ(日本館)、2007年には、第52回ヴェネツィア・ビエンナーレ(アルセナーレ)で発表。
その他の展示は、「The Tower of Time」アイコンギャラリー(英国バーミンガム、2009年)、「+/-」国立国際美術館(大阪、2007年)、「美術館の遠足 1/10 – 10/10」(兵庫・西宮市大谷記念美術館、1997-2006年)など。
名古屋では、「streaming heritage 2022|ストリーミング・ヘリテージ 台地と海のあいだ」にも参加した。
ストリーミング・ヘリテージでは、名古屋・四間道の伊藤家住宅を使い、伝統的な日本家屋の建物、庭の各所に作品を点在させた。
2022年 時間について
今回のメインの作品は、縦横18個の時計を並べたインスタレーションである。文字盤はなく、赤い秒針だけが時間を刻む。
その324個の音が重なり、全体が1つの音のように聞こえるが、作品を見ることによって、鑑賞者の意識はむしろ、全体より、聴き分けることができない個々の秒針へと向かう。ここに全体と個の関係が見て取れる。
文字盤がないことから、何時何分という時間はなく、ただ、個々の秒針がそれぞれに時間を前に進めている。
それぞれの針が1分をかけて、1周するといっても、ある時点と別の時点が意識されることはないので、区切られた時間の長さというよりは、おびただしい数の時間そのものを意識する感覚に近い。
言い換えると、鑑賞者は、持続する内的な時間、自分の時間に向き合う。
それは、筆者にとっては、個にとっての刹那の連なりそのもの、つまり、世界との接点、存在そのもの、言い換えると、命の1つ1つを想起させると言ってもいい。 小さな直線的な時間の数々が、個の生と死を意識させるのだ。
別の作品では、秒針が1分間の砂時計になっている。
この秒針が回転する「1分間」と、それとズレながら砂を落とす、もう1つの「1分間」がある。
だが、この秒針にも終わり、始まりがない。砂時計も回転するがゆえに「1分間」を測ることができないうえ、やはり、始点、終点がない。
重なりながら、1つにはなれない円環する時間、回帰し続ける時間である。
今回の展覧会に関して、藤本さんは「時間とは発明であり、そうでなければ何物でもない」というアンリ・ベルクソンの言葉を引用したステートメントを用意している。
藤本さんは、この文章の中で、1970年代の磁気テープでは、録音されたテープを切り貼りして編集する作業が、「時間」を「長さ」として意識させたと振り返っている。
つまり、抽象的な概念である「時間」は、ものや現象を通して眺めたとき、具体的なもの、質的なもの、時間の多面的な姿として立ち現れる。
そこに人間の感情、言語が関わってくる。普段、意識に上らないことを、そうした繊細な方法で発見させてくれるのが、藤本さんの作品である。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)