N-MARK B1(名古屋) 2021年6月25〜27日、7月2〜4日
札本彩子
札本彩子さんは1991年、山口県宇部市生まれ。2014年、京都精華大学芸術学部造形学科卒業。京都を拠点に制作している。
京都のKUNST ARZTで、2016年に初個展をしている。N-MARK B1では、2019年に続いて2回目の個展。
今回のメインの作品は、2020年のKUNST ARZTで発表した「ブラックボックス」を再構成したものである。
札本彩子さんは、大正時代から昭和初期にかけての日本で考案され、独自に発展した食品サンプルのような造形物で表現するアーティストである。
本物と見間違えるほどの超絶技巧は、既に業務用のものを凌駕している。食品模型をさまざまなコンセプトで展開することで、社会的、政治的なテーマへと接続している。
思いつくだけで、フードロス、大量生産・低コスト食品のリスク、ギグ・ワークなどの労働問題、格差などが連想される。作品があまりにリアルなだけに、コンセプト次第でさまざまな展開ができそうである。
これまでに、壁一面を安さのシンボル的存在である「のりべん」で埋め尽くしたインスタレーションや、ギャラリー入口上部にハンバーガーやポテトを載せたトレーを逆さまに設置し、鑑賞者にジャンクフードのシャワーを浴びせた作品を発表している。
これらの作品を札本さんは、全くの独学で制作している。業務用のものは蝋や合成樹脂で作られているが、札本さんは、主に樹脂粘土を素材とし、アクリル絵具で着色している。
また、業務用のサンプルが皿に盛られた料理を「おいしく見せる」ことに主眼を置いているのに対し、札本さんの作品は、料理が容器からこぼれ落ちるなど、崩れた態様を含めてリアル極まりなく、テーマによっては嫌悪的である。
制作方法は、型取りすることもあるが、多くの場合、手捻りである。また、ニンジンなら実際にそれっぽく作った後に切るなど、単に型取りするわけではなく、できる限り料理のプロセスに沿った制作を踏まえているのも注目するところである。
そして、それは、食品工場やウーバーイーツで働いた札本さんの経験に基づいている。つまり、想像力が大きく作用しているとはいえ、ある種の「ドキュメンタリー」でもあるのだ。
Replicant 2
今回の「ブラックボックス」では、フードロスとともに、労働の問題にも踏み込んでいると言ってもいいだろう。
自転車道路を想起させる細長く黒いFRP製の台の上で、おびただしい料理が派手に崩れ、容器から飛び散っている。多くは、ファストフードや弁当の類いである。
タイトルの「ブラックボックス」は、ウーバーイーツの配達員が運ぶ四角い黒バッグのことである。
容器からぶちまけられ、料理がばらばらに崩れているが、それでもなお生々しく、おいしく見えるのが奇異である。
もちろん、ブラックボックスの中で、これほどひどく料理が散らばっているということが言いたいわけではない。
筆者は、ウーバーイーツを利用したことはないが、配達時、料理が多少バランスを崩していることはあるのだろう。
料理の崩れ方の程度が問題なのではなく、札本さん自身がこうした食品生産や配送の業界で実際に働いた経験をもち、そうした記憶とイマジネーションから、「食品」の概念を再考していることを忘れてはいけない。
つまり、食卓や人の口の中に辿り着くことなく遺棄された食品が数多く存在していること、その食品廃棄のプロセスがブラックボックス化していることである。
だから、タイトルの「ブラックボックス」は、ウーバーイーツの四角いバッグのみならず、こうしたフードビジネスの見えない部分を象徴している。
もっと言えば、経済性、効率性の陰で起きている現代社会の見えない部分をも指し示している。筆者は、英国のケン・ローチ監督が「家族を想うとき」で描いたような「ギグ・エコノミー」化での劣悪な労働環境をも連想した。
ケン・ローチ監督は、高度資本主義社会の便利さの中で起きているテクノロジーによる奴隷化、労働の劣化と格差、コミュニティーや家族のあり方を問題視している。
札本さんの作品にも共通したテーマ性を見る思いである。
そのほかの作品も面白い。
新作の「パブロフの犬」は、使用済みのレモンと梅干しを積み上げた作品。
PCR検査で、唾液を採取するため、梅干しと搾ったレモンの写真が用意されるなどしたが、それを立体化したものである。
また、「モシャス(焼鮭 辛口)」は、「模写」をテーマにしたシリーズ。
食品そっくりに見える石や、日常的な物と、より本物らしい食品の立体を並べた遊び心たっぷりの作品である。
今回の作品(上の写真)では、右側が、京都の愛宕山で拾われた石で、左は、それが焼鮭に見えることから、樹脂粘土などでつくったものである。
「縦ピザの会2」という作品は、宅配ピザが箱ごと壁に掛けられている。
ふたが開いているが、ピザは踏ん張るように箱の底に張りついている。よく見ると、床に、落下した一切れがあるというオチもついている。
札本さんの作品は、自らの食の記憶を拡張して再現することで、現代を切り取っている。
ユーモアを忘れず、それでいて、なかなかしぶとく社会性を突いている作品である。
洞察を深めることによって、さまざまな展開の可能性があることを考えると、今後が楽しみである。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)