ギャラリーA・C・S(名古屋) 2023年12月9〜23日
遠藤浩治
遠藤浩治さんは1960年、名古屋市生まれ。名古屋芸術大学卒業。30年以上、多色刷りの木版画を追究し、ギャラリーA・C・Sでの個展を中心に発表している。今回は、2021年の個展以来、2年ぶりとなる。
木版画というと、古風な表現手法のように思われがちだが、ベテランから若手まで可能性に挑んでいる作家がまだ数多くいる。
遠藤さんは、穏やかな色彩を重ね、イメージを紡いでいる。一見、装飾的な世界かと思わせながら、形象と色彩の断片を空間に配することで、メタフォリカルな世界を作っている。
1つの作品で7-9枚ほどの板を使い、20-30回ほどの刷りを重ねていくという緻密な作業である。主なモチーフは、人物、植物、果実、花弁、雫のような水のイメージ‥‥。それらが具象、抽象のあわいにたたずみ、重なり合うように浮かんでいる。
物語的な世界というよりは、心象世界であり、それもイメージが先にあるのではなく、まさに想いを編むように作品をつくっている。
願いのような想い、つまりは「念う」こと、時間を重ねるように作品をつくっていくことからすると、優美な装飾性に見える世界はその実、深遠である。
2023年 ギャラリーA・C・S
遠藤さんの作品で、広がりのある空間にたたずむ人物は、そんな想いが仮託されている存在である。人物は目を閉じ、瞑想するように宇宙とつながっている。
花や茎、果実の断片、ひとひらの花弁のようなカケラが、透明水彩の繊細な色彩によって、みずみずしく、時間が静かに降り積もるように画面に広がっている。
板ぼかしによる繊細なグラデーションが、空間に浸透するような存在と、消えゆくようなうつろい、そして、非在をほのめかしている。それは、瞑想する人物の儚く、それでいて、かけがえのない存在とも響き合っている。
遠藤さんの作品にときどき登場するイメージに、タマネギ、チコリ、ザクロのような野菜、果実がある。これらも、花や花弁、茎などと同様、生命力と死、そして再生の隠喩である。その媒介に水があるのだろう。
陽と陰、万物の生々流転。土に種が落ち、芽が出て、双葉となり、成長し、花を咲かせ、実を結んで、そして枯れ落ち、朽ち、土に還るような生滅変転の時間の流れがここにはある。
だが、そこに悲壮感はない。むしろ、みずみずしく、晴れやかである。遠藤さんは、植物の変化、ひいては、人間の生死を森羅万象の時間の流れとして感じながら、瞬間と永遠への想いを作品に昇華させている。
人間が生きる日常の喜びも悲しみも、成功も失敗も、そのすべての時間を、意味や正しさ、欲望や怒りに惑わされない植物の、単調に見える時間と同様、かけがえのない瞬間と捉え、その想いをうつすように、ひとひら、ひとひら彫っていく。
植物が生まれ、育ち、朽ち、死んでいき、また、新たな命をはぐくむような、なにげない時間は、とても静かに流れていくが、どの瞬間が途切れても、命は続かない。つまり、すべての瞬間が永遠につながっている。
遠藤さんは、未来の欲望の実現に向けて生きるのではなく、今を手段として経験するのでもなく、ささやかな日常をかみしめ、何の変哲もない生の営為、瞬間の感覚、光、美しさ、出会いそのものを大切に、円環の時間を描いている。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)