やきものの現在 土から成るかたち—PartXVⅢ
「やきものの現在 土から成るかたち—PartXVⅢ」が2021年6月26日~8月1日、岐阜・多治見市文化工房ギャラリーヴォイスで開かれている。
陶芸の現在を考えようと、連続して企画されているグループ展である。やきものならではの造形表現に焦点を当て、作家7人が出品した。
出品作家は、井上雅之さん、荻野由梨さん、田中知美さん、田上真也さん、矢次美穂さん、柳星太さん、山口美智江さん(50音順)。
7月17日には、大長智広さん(京都国立近代美術館研究員)をコーディネーターにシンポジウムも催された。
展示、シンポジウムを合わせ、筆者としては、こうした現代陶芸を見る機会が少ない中で刺激をいただいた。陶芸(工芸)の活性化を図るうえでも議論が深まることを期待したい。
作品
井上雅之
井上雅之さんは1957年、神戸市生まれ。1985年、多摩美術大学大学院美術研究科修士課程修了。
1993年、「現代の陶芸1950-1990」(愛知県美術館)、1996年、「現代陶芸の若き旗手たち」(愛知県陶磁資料館)、2005年、「アルス・ノーヴァ――現代美術と工芸のはざまに」(東京都現代美術館)、2016年、「革新の工芸 —“伝統と前衛”、そして現代—」(東京国立近代美術館 工芸館)など、数々の展覧会に出品している。
器状の⽴体を解体した欠片やパーツを再構築して、全体性を生みだすような制作、タタラ成形による板状にした土を積み上げる作品などで知られる。
やきもののプロセス全体が素材であるように問い直しつつ、陶芸そのものの概念的な問題提起と造形性、物質性を併せ持った作品は、ダイナミックで内なるエネルギーを放っている。
荻野由梨
荻野由梨さん1992年、愛知県生まれ。愛知教育大造形文化コース卒業、同大学院教育学研究科芸術教育専攻修了。2018年に多治見市陶磁器意匠研究所セラミックラボ修了。
タタラで成形するときの軟らかいしわを積んで、環形動物がうごめくような独特の表面を作っている。
ひもづくりによる滑らかな部分と組み合わせることで、夥しいしわが内部から生成するような感覚を与えている。しわが増殖したような部分と艶やかな部分は、同時に下から立ち上げる。
抉れ、ねじれたような内部の空洞を含め、力強く、同時に妖しい気配を帯びている。
田中知美
1983年、兵庫県生まれ。愛知教育大学造形文化コース卒業、同大学院教育学研究科芸術教育専攻修了。
2009年、「現代工芸への視点 装飾の力」(東京国立近代美術館工芸館 / 東京)、2014年、「現代・陶芸現象(茨城県陶芸美術館 / 茨城)」などに出品。2014年、第10回国際陶磁器展美濃 陶芸部門銀賞、2016年、平成27年度愛知県芸術文化選奨文化新人賞。
薄く延ばした土の重層的なひだが回転するような動感をたたえた形態が特徴である。繊細でありながらシャープで、静謐でありながら凛としている。
ボトル形から入り、ねじる、伸ばすなど、試行錯誤する中で、複雑な形態をつくり出した。現在は、やや原点回帰し、シンプルな方に向かっている。
田上真也
田上真也さんは1976年、京都府生まれ。同志社大神学部卒業。京都嵯峨芸術大学短期大学部美術学科陶芸コース卒業。
生命が内側に存在するような「殻」が1つのモチーフになっている。硬質なイメージの形態は、さまざまな力が作用する中で、規則性と変則性、必然と偶然の拮抗する中で現れたかのような印象である。
内側から外へ向かって膨らむ力と、外側からの凝縮するような緊張感。内からと外からの意識、造形感覚のせめぎあうような均衡が、器的な形態を豊かにしている。
外側は、かき落とし技法によって、内側は漆で装飾し、一部は内外が反転するなど、抑制的でありながら律動するような変化の感覚がある。
矢次美穂
矢次美穂さんは1973年、東京都生まれ。東京農工大大学院農学研究科修了。茨城県立笠間陶芸大学校卒業。多治見市陶磁器意匠研究所セラミックスラボ修了。
素材は有田焼に使う天草陶石。磁土を手びねりで成形し、バイオモルフィックな形態を生みだしている。
おおらかさ、しなやかさの中にも、生体的ななまなましさがある。装飾を排した白い形態は、脈打つような柔軟な動きをも感じさせる。
聞くと、ひもづくりで、時間をかけ、紡ぐようにほんの少しずつ積み上げながら、指のカーブを時間のつながりの中で土の曲面として写しとっている。作品の生理的感覚は、そこから来るのだろう。
柳星太
柳星太さんは1988年、茨城県笠間市生まれ。茨城県立笠間陶芸大学校陶芸学科卒業、同研究科卒業。
長くうねるような形態を積み上げていく中で生まれる空隙に、別の形態を交差させるような方法で、屈曲する形が絡み合うような有機的な作品に仕上げている。
以前は、1つの形態を作った後に、その空隙に別の形態を入れるように絡ませていったが、最近は、同じタイミングで2つの形を関係づけて立ち上げる。
それによって、2つのクネクネした形と、その空隙が互いに影響を受けながら形が生まれるような連動性が生じ、作者の身体性をも感じさせるような生動感につながった。
山口美智江
35歳から陶芸を始め、多治見工業高校専攻科で学んだ。名古屋市在住ながら、美濃陶芸協会に所属している。
菊池ビエンナーレ、日本新工芸展、女流陶芸展などで数々の受賞歴がある。韓国の京畿道世界陶磁ビエンナーレなどにも出品している。
淡いピンク色の「桃釉」を施した豊満で寛容な形態が特徴である。巨大なハイヒールのような作品も手がけている。
女性の身体、女性らしいフォルムがモチーフになっている。器の形のデフォルメだが、包み込むような曲面と柔らかなくびれ、すべすべした触感と、色彩によって、触りたくなるな形になっている。
シンポジウム「土にかえる」
パネリストは、出品作家のうちの井上雅之さん、荻野由梨さん、田中知美さん、柳星太さんである。
テーマは「土にかえる」。コーディネーターの大長智広さんから、土の記憶や感覚、やきものへの意識、素材としての土をどう発見したかなどについて質問があり、4人の作家が丁寧に答えた。
4人とも、オブジェ系の作品を制作していることもあって、土素材との関わり、造形、陶芸のプロセスにとても意識的で、興味深い話が展開した。
1980年代から制作・発表をしている井上雅之さんからは、現代陶芸が現代美術に接近し、大型化するなどクレイワークと呼ばれたころの状況への言及もあった。
1980年代から、現代美術を中心にギャラリーや美術館、国内外の国際展を見るようになった筆者としては、現代陶芸を元気にする意味でも、気になる領域である。
一方で、現在は、工芸的な素材性を意識した作品でも、多様な趣向、自由な制作、非歴史性、マーケットの影響などから、全体にコンセプトやイメージの重視、ハイブリッド化、複合化(イメージの拡張と空間性など)が進み、趨勢としては、アート寄りになって拡散傾向にある。
そうした中で、今回の出品作家は、いわば、それとは異なり、陶芸家としてラジカルな問題意識のある印象が強い。
今回のシンポジウムでも、多く作家から、土素材の性質や、土から陶へのプロセス、そうした陶芸ならではの制約の中での素材との身体的なやりとりについての話が多く聞かれた。
工芸的な素材を「アート」に使うのが悪いわけではない。また、工芸の理路を制約的に考えすぎると、窮屈になるのも事実である。ただ、筆者としては、陶芸として造形作品に挑む若い作家を育て、社会に発信していく意味でも、「現代陶芸」の議論を深める必要はあると考えている。
工芸的な素材を相対化に用いた「アート」だけでなく、「現代陶芸」の議論が活性化することを期待したいのである。現在は、このあたりの議論が停滞気味のような気もする。
今回、「土にかえる」のシンポジウムで思い出したのは、かつて金子賢治さんが唱えた「工芸的造形論」である。
オブジェ系の「現代工芸」の評価のインデックスとして、とても興味を覚えたが、筆者のような部外者にとっては、2010年ごろから自然消滅的にあまり聞かれなくなった気がする。
2008年、ギャラリー・ヴォイスで開かれたの中島晴美展に合わせ、中島さんと、当時、東京国立近代美術館工芸課長だった金子賢治さんとの対談「陶造形についてー工芸的な力の源泉と広がり」が催され、議論が盛り上がった。
このときの様子は、別の記事「工芸的造形への応答」にまとめたので、これを読んでいただくと、おおよその流れは分かると思うが、単に「工芸」を大文字の「アート」に含めて「多様化」「自由」と片付けるだけでなく、こうした議論も、現代陶芸の発展のためには必要なのではないか。
つまり、筆者は、現代陶芸(工芸)の未来のためにも、工芸の造形論を含めた現代陶芸論を再構築することが不可欠だと思っている。そうしないと、「工芸的」な「アート」に比べ、現代陶芸(工芸)が美術の中の閉域へと特殊化される。
そこで、少し頭の整理のために、たたき台のような構図を備忘録として記述したいと思う。
例えば、陶芸(工芸)の特徴を、
①器・置物性(用途性)
②用途性からの発展(歴史性、装飾性)
③工芸的な造形プロセスの展開
ファインアートの特徴を、
Aコンセプト(形式性、内容、歴史性)
B精神性
C複合性
そして、それとは別に先端性、現代性という評価軸を設定する。
①②③の性質が強ければ、工芸性が強く、ABCの性質が強ければ、アート性が強くなる。両者は排他的ではないので、当然、境界領域が存在する。その中で、クオリティーとともに、先端性、現代性が評価の1つの軸となる。
特段、新しい図式でもないが、単純に「多様性」「自由」で片付けるよりは、議論の土台になるのではないか。そして、私は、やはり、③工芸的な造形プロセスの展開を軸に「現代陶芸」をしっかり育てていくことを忘れてはいけないと思う。
こうした発言は、現代美術の側から美術を見るようになり、現代陶芸も好きである筆者だから言いやすい部分もある。私のような素人の戯言ではなく、作家や専門家の方が議論を深めてほしい。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)