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セシル アンドリュ ギャラリーハム(名古屋)MEMORY GARDEN 2024年11月23日-12月28日

Gallery HAM(名古屋) 2024年11月23日〜12月28日

セシル アンドリュ

 セシル・アンドリュさんは1956年、フランス生まれ。荒川修作研究を契機に日本文化への関心を高め、東京大学で言語学、美学を学んだ後、パリ第1パンテオン・ソルボンヌ大学で人間科学芸術学博士号の学位を得ている。

 金沢市を拠点に言葉、文字をテーマとした作品を制作。ギャラリーハムの元代表、故・神野公男さんへのオマージュとなった2020年の個展2021年の個展2022年の個展の各レビューも参照してほしい。

MEMORY GARDEN 2024年

 前回のHAMでの個展に続き、今回もギャラリー空間全体を使ったインスタレーションが中心となる。言語を人類史、文明史と重ねて人間を哲学的、歴史的パースペクティブの中で捉え返す姿勢は、今回も一貫している。

 これまでも鑑賞者に思索の場としてのインスタレーション空間を提示してきたセシルさんだが、今回も固定した概念で作品を定式化することは避けている。

 前回2022年の個展で、ヤン・フートが企画した展覧会から引用した《Chambre d’amis》(シャンブル・ダミ)をタイトルにギャラリー空間に瞑想的な空間を用意したのに似て、今回も鑑賞者が静かに考える場をつくっている。

 作品「MEMORY CITY」では、会場の床面に700個もの黒い物体が整然とグリッド状に並んでいる。1つ1つが塔や建物のようなので、全体では、都市を鳥瞰したようにも見える。

 また、段差のあるギャラリーの床面の上から下へと展開しているため、全体が流れていくような印象でもある。

 グリッドは、ロザリンド・クラウスによって近代絵画の純粋性、自律性(オリジナリティ)と反復性が同時存在する指標とされたが、セシルさんのグリッドは、原稿用紙のメタファーとして、しばしば用いられている展示手法の1つである。

 これら1つ1つの黒い物体は、鉛活字を黒いゴムテープで巻いたものである。この鉛活字もセシルさんの作品を継続的に見てきた者にとっては、お馴染みの素材である。黒い物体の先端に鉛活字の一部が微かに見える。

 それぞれの活字は活版印刷に使われる凸型の字型だが、文字を彫った部分は下になって隠れている。つまり、それぞれが、どの文字の活字かは分からない。

 言うなれば、それらは個々の文字の意味を伝えたいわけではなく、意味を超えた、文字そのもの、すなわち文明の痕跡だということが示唆されているのだ。

 セシルさんは、これらの活字の1つ1つに、丁寧に幅19ミリ、厚さ0.5ミリ、長さ10メートルの黒いゴムを巻いていった。作業量は膨大である。ゴムを引っ張りながら巻いていくため、接着剤を使わなくても、張り付くように活字を包んでいっている。

 もともとの活字のサイズや、巻くときの上下の微妙なズレ、制作時の作家の呼吸の律動などによって、形状が変わってくるので、同じ作業を淡々と続けても、すべてが違う形になるのである。

 このことは、今回のセシルさんの作品において、決定的に重要である。

 黒、白といっても、それぞれの物質性によって色合いや質感、存在感が異なるように、同じ方法で作られていても、同じものが1つとして生まれないということ、つまり変化していることが、豊かさであり、制作することの緊張感だからだ。

 ここにデジタル文明に対する、セシルさんの姿勢が明確に反映されている。

 誰もが大量の情報に便利にアクセスでき、正確性、再現性が高い一方、人間を人間たらしめる最も重要な部分の1つである身体性や感覚性、心、魂のつながり(信頼と助け合い)を失わせているのがデジタルの世界である。

 セシルさんの、この1つの1つの物体には、同じものがものが全く存在しない。似ているが、すべてが異なるのだ。

 セシルさんは、最初、この作品を作るにあたって、活字にミイラのように包帯を巻いて保護するイメージがあった。ミイラは死者の肉体を腐らせることなく保存して、死後の世界で生前と同じように生活できるようにするために作られた。

 とすれば、この作品は、死んでゆく活字、ひいては、人間の豊かさへのレクイエムであると同時に、活字が死につつある現実に直面して捧げられた祈りそのものなのである。

 実際、仏塔(ストゥーパ)のように見える個々の物体に、筆者は生命、霊性のようなものを感じる。どこまでも多様で、かけがえなく、同時に、作家の呼吸とともに巻く行為によって生まれたものとして、緊張感をはらんでいる。

 ここにはデジタルにはない、無限のグラデーションがある。この黒色の世界は、意味を超えたものであり、宇宙、いのちの流れであり、人間の世界の豊かさと無我、無常を結ぶ色即是空である。

 今回、セシルさんは、活字の字型を黒いゴムテープに奥に隠して見えなくしているが、これまでには、字型を潰して作品に使ったこともあった。

 また、今回出品された別の作品「遺物箱」のように、日本語、フランス語の辞書のページをシュレッダーにしている作品もある。

 つまり、そこには、意味を発現する前の文字そのもの、物質としての文字そのもの、意味や概念、解釈を超えた人類、文明への眼差しがある。セシルさんは、物質としての存在を失いつつある文字の、まさにその「沈黙」によって、現在について語ろうとしている。

 この文明の痕跡を前に、何を思うか。それは鑑賞者に委ねられているのである。 

 最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)

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