ギャラリーサンセリテ(愛知県豊橋市) 2023年3月25日〜4月11日
戸次祥子
戸次祥子さんは1979年、大阪府生まれ。大阪大人間科学部で教育学を学び、京都造形芸術大(現・京都芸術大)の通信過程でグラフィックデザインを学んだ。
木口木版と、木の葉を切り絵のようにキャンバスや木に貼った平面作品を制作している。2007年、結婚を機に愛知県に転居。豊川市が制作拠点である。
以前は書店に勤務した。出版編集の仕事に携わったこともある。本を愛し、詩集などの挿画にも作品を提供している。自然から想起されたイメージと言葉(物語)が分かち難く結び付いた文学性のある作品である。
サンセリテでは、2012年から個展を開いている。2021年の個展では、さまざまなシリーズが展示され、その多様な世界が紹介された。
奥三河や南信州の山々を歩き、拾ってきた小石からインスピレーションを受けた作品がベースにある。石から想像力を働かせ、丁寧に木口を彫り、物語性のあるイメージをつくっている。
小石は取るに足らないものかもしれないが、山、ひいては地球をつくる1つの存在である。戸次さんは、平凡なものを平凡と見ない。山歩きでの出会い、空想力、文学的な背景からイメージを広げ、大きな宇宙、豊かな物語を結び合わせている。
山で出会ったささやかな存在から、大地と森、地勢、冷たい空気、清冽な流れ、生き物の息遣いを感じる。ビュランの細い線が響き合い、文学性と象徴性をまといはじめる。
山は、自分と一体となった宇宙である。その入り口の1つである石は作家自身の分身であり、対話をする相手である。
戸次さんは、自分を石に重ね、石を通じて宇宙の声を聴き、視線を深く、あるいは、はるか遠くに向け、記憶をたどる。空想が広がり、物語が紡がれる。
影凛所 2023年
2021、2022年の作品が中心だが、葉を使った作品は、2010年までさかのぼる。「影凛所」という新作の連作をはじめ、「こんな石を見た」、「water sample」、「ムーヴメント」などが今回のメインになっている。
「影凛所」は、戸次さんの造語である。「営林署」が同じ音なので、森林に関わる言葉からイメージを膨らませたのだと思う。森の中のさまざまな存在、空気感を凛とした影にたとえたのかもしれない。
影は、絵画の源流の1つとされる。木口木版として細かな線を彫って作った作品は、あたかも凛とした影のようでもある。
影は、戸次さんが愛する山の林道のカーブや、樹間などにいる。戸次さんには見える存在なのだろう。純粋な心を失うと、見えなくなる大切なもの。自然、生き物を愛すること、好奇心が欠かせない。子供のころ、誰もがもっていたものである。
それは、ときに人の姿をしているが、そうでないときもある。戸次さんが「影凛所」のシリーズで木口に彫るのは、そんなイメージである。
山や森、石、あるいはその他の自然物から発想される不思議な世界。人間が心の中にもっている想像力の産物である。
人間も動物も鳥も昆虫も、あるいは植物も石も、その背後にもっている大きなつながり。私たちを生かしてくれている豊かさである。
「どうかゆっくり見て読んでみてください」と、戸次さんはメッセージを寄せる。「読む」とあるように、これは、イメージであるとともに言葉、物語をその中に含んだものなのだろう。
戸次さんの作品に現れるイメージは、実際に歩いた山の中で出会ったものから発想されている。それは、それは具体的なもの、感覚的なもの、いずれもある。そこから空想力によって次元を超えるイメージがナラティブなものとして生まれる。そして、つながる。
例えば、この連作の中の「笹原走-ささらそう-」で描かれる少年は、「こんな石を見た」のシリーズの物語に登場した、山の中で出会った不思議な子とつながっている。
視覚性と文学性を合わせもち、深遠な人間と自然の関わり、時間と空間を超えた精神的な世界の豊潤さを細密、繊細な木口木版で創造している。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)