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浅井真理子「ブラインドガーデン」SA・KURA(名古屋)で6月25日-7月10日

愛知県立芸術大学サテライトギャラリー SA・KURA(名古屋) 2022年6月25日~7月10日

浅井真理子

 浅井真理子さんは1986年、愛知県立芸術大学油画専攻を卒業。1988年、愛知県立芸術大学大学院修了。国内外各地で個展を開き、グループ展にも参加している。現在は、埼玉県新座市在住。

 2012年には、愛知県立芸術大学芸術創造センターのアーティスト・イン・レジデンス事業の一環で、当時の大学サテライトギャラリー(名古屋・栄)、豊田市藤沢アートハウス、豊田市美術館で展示をした。

 浅井さんは、インスタレーション、写真、ビデオ、アート・プロジェクトやワークショップなど、多様なメディアや場を通じて、世界観を示してきた。

 とりわけ、2012年以降、ノルウェーの極北地域で滞在制作を断続的に続け、それをきっかけに剥製の視線をテーマにした写真を制作している。

 今回は、その写真によるインスタレーションといってもいい展示である。6月26日には、美術作家の染谷亜里可さんと浅井さんによるアーティストトークも開かれた。

 港まちポットラックビル(名古屋)で2022年6月8日〜8月13日に開催されている「港まちアートブックフェア」にも参加。アートブックを出品している。

「BLIND GARDEN」

浅井真理子

 作品は、国内外のさまざまな場所に設置された剥製を撮影した写真が基になっている。

 漠然と剥製を撮影したというより、剝製動物の目、もっと言うと、目線がモチーフになっている。そして、その眼差しの先にある物、空間をも撮影。

 つまり、剝製の目、その目線の先の空間という2つのイメージが、上下、あるいは左右につなげられ、1枚の写真ができている。

浅井真理子

 剥製とその動物の視線の先にある空間が写されていることで、その動物が何を見ているかが示される。

 同時に、剥製の視線は、鑑賞者を見ているようにも感じられる。

 剥製が見ている世界各地の空間が集められたとも言えるし、多数の作品が高低を変え、ホワイトキューブの各所に展示されていることによって、剥製の視線は中空にも向けられ、展示会場において、その眼差しが交錯することにもなる。

浅井真理子

 だが、同時に剥製は動物である。動物にとっての世界の見え方は、人間が見ている世界とは違う。

 また、そもそも、剥製は死んでいるので、世界を見ることができない。剥製の目玉は、ガラス製である。つまり、盲目である。

 その意味では、この作品はナンセンスだとも言える。

 では、この展示が無意味かというと、そうではなくて、だからこそ、このわからなさが招き寄せるものが実に味わい深く、同時に深いのである。

浅井真理子

 これまで、この写真作品のシリーズは、他のメディアを含めたインスタレーションの一部として展示されたというが、今回は、写真のみによって構成した。

 それによって、死んだ動物の視線とその先にあるいくつもの(もっと言うと無数の)世界が混じり合うような空間をつくっている。

 26日のアーティストトークでは、主観性、間主観性、客観性を巡る議論、「わかること」と「わからないこと」、世界認識や翻訳を巡る話が展開していた。  

浅井真理子

 剥製の視線をテーマにした写真ではあるが、浅井さんは、他者の視線を見せたいわけではなく、わからないものをわからないものとして提示している。

 筆者にとっては、これは、自分と世界との関係、言い換えると、鑑賞者を含むさまざまな存在にとっての宇宙が相互に関わり合っているという存在の原理に関わる話、つまりは、世界がどうなりたっているか、というテーマに通じる。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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