GALLERY APA(名古屋) 2024年3月30日〜4月14日
浅田泰子
浅田泰子さんは1962年、東京生まれ。1989年、愛知県立芸術大学大学院研修科修了。1990年代から、ギャラリーでの個展、グループ展で精力的に作品を発表している。
愛知県長久手市の「ながくてアートフェスティバル」にも継続して参加。また、夫であるアーティストの杉山健司さんとの2人展も2008年を皮切りに各所で展開している。
浅田さんは、筆者が作品を見るようになった1990年代、人形やアンティーク瓶など、蚤の市や旅先などで見つけたお気に入りの小物を、お菓子の空き箱や紙切れ、布地などに描くというスタイルで制作していた。
そうした中で、描かれるモチーフである自分のコレクションと、描いたドローイングをインスタレーションとして、一緒に空間的に展示するようになった。
その後、陶の立体も制作し、それを描いた絵とともに展示するようになった。近年は、自分で和紙を作って、それに描いている。
描いた絵と、描かれた小物や、制作した陶オブジェを同じ空間に展開し、支持体となる和紙も自ら作ることで、心地よい空間をつくることを考えている。あたかも、その展示が「蚤の市」のようである。
blue 2024年個展
今回は、インスタレーションを会場内の2カ所に分けて展示した。一方は、コレクションした小物とそれを描いた絵で、他方は、自作の陶オブジェとそれを描いた絵で構成している。
秋にウズベキスタンで参加する展覧会でも展示することを視野に、現地のサマルカンドブルーと呼ばれる鮮やかな青色を背景に取り入れている。
浅田さんは作品について多くを語らない。自分が気に入った小物、自分が制作した物を、自作の和紙、紙の切れ端などに描いて、その両方をランダムに並べる。美術の慣習や制度を、やんわりと躱すような展示なのである。
蚤の市などで集めたコレクションは、ガラスの小瓶などチープな古物であって、誰かがかつて使っていて、転々と流通し、人から人へと伝わってきた物である。
また、陶のオブジェも、概して小ぶりで、宇宙人や異形の動物がモチーフになっている。これらも蚤の市に並びそうな雰囲気を備えている。描くための和紙や紙の切れ端を含め、全てがそんな小さな収集物のようである。
そして、既製品とか作家のオリジナルとか、モチーフとか作品とか、そういう区別もなく、互いが対等で、近しい関係として並べられる。それゆえ、浅田さんの作品には、「これは美術である」というような荘重さ、大仰さがない。
浅田さんが集めたアンティーク類は、歴史を経て、海を越えて、人から人へと伝わってきた思いがこもった物である。また、陶による宇宙人や異形の動物はミステリアスで、浅田さんの思いが直に注がれた物である。
自作の物を含め、ある意味、そんなささやかな蒐集品を見せるような展示なのだ。
蚤の市で集めた小物は「何であるか」「何の役に立つのか」という日常性、実用性から離れている。自ら制作したオブジェも、明確なイメージや色彩、均整、調和や美しさをあえて回避している気がする。
小さい物、古びた物、使い込まれた物、歪んだ物、自作の物、謎めいた物など、全てが粗放に並べられ、愛おしむような感覚、親密感をまとっているのだ。
つまり、浅田さんのイスタレーションは、蚤の市などで見つけ、浅田さんのところにやってきた小物にせよ、内面から現れ出た奇想のイメージにせよ、小さな手作りの和紙にせよ、浅田さんの小さな分身のようなバリエーションであり、それらが循環するように空間化されているのだ。
集めた小物と写し取られた絵のみならず、作られた物、さまざまな素材が関係づけられ、互いにゆるし合うように共生する、温かい空間になっている。
大切な蒐集品のような小さき物たちが息づき、大きな物語に回収されることなく、ただ素朴に集める楽しみ、語るうれしさ、作る喜び、小さなそれぞれの存在感によって、柔らかな空気で空間を包んでいる。
それゆえ、この展示自体が、浅田さんの、ありのままの思いをシェアする「蚤の市」とでも言うような雰囲気なのだ。
ここには、大文字の「美術」としての主張の強さとは対極的な、小さなこだわり、奇妙さ、弱さや傷つきやすさ、曖昧さ、緩さを受け止め、共有する感覚がある。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)