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山岡信貴監督の最新作 ドキュメンタリー映画『アートなんかいらない!』名古屋シネマテークで10月1-21日公開

本当のアートを知る映画 アートはカテゴライズ不可能な力

 「日本人にとってアートとは何なのか」を探る映画『アートなんかいらない!』が2022年10月1~21日、名古屋・今池の名古屋シネマテークで公開される。

 『死なない子供、荒川修作』(2010年)、『縄文にハマる人々』(2018年)の 山岡信貴監督の最新長編ドキュメンタリー。

 「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」や、国内外にあふれ、地域活性化のイベントと化した国際展、マーケットで投機対象として高騰した作品価格など、社会のさまざまな現実を映すアート。その本質を考える映画である。

 タイトルは逆説的だ。「『アート』は必要だ」と言っているこの映画は、タイトルを爽快に裏切るドキュメンタリーである。だが、その「アート」は、アートイベントを彩るアトラクション、マーケットで取り引きされる商品ではない。

 歴史や従来の枠組みを超えて創造された真実の「アート」は、私たちの自意識にとって「他者」「外部」「矛盾」である。それは、意味や解釈、因果律を超え、生と死、存在と不在を往還する。

 私というものも、生命というものも、自分が計り知れない外部を絶えず取り込むことによって成立している。アートは、それを人間に感じさせてくれるものなのではないか、と。

 「Session1 惰性の王国」( 98分)と「Session2 46億年の孤独」( 89分)の2部構成。2つのSessionの3時間超で、徹底的にアートについて考える。

出演者(北川フラム他)・ナレーション(町田康)・影からの声(椹木野衣)

 「瀬戸内国際芸術祭」「越後妻有 大地の芸術祭」の総合ディレクター北川フラムさん、「あいちトリエンナーレ2019」で芸術監督を務めた津田大介さん、放送作家、アートプロデューサーの倉本美津留さんなど、30人以上のアート関係者が登場。

 その他の出演者は、Session1が、相馬千秋さん(アートプロデューサー)、大浦信行さん(映画監督/美術家)、 岡本有佳さん(表現の不自由展実行委員)、木田真理子さん(ダンサー)、土屋日出夫さん(オリエント工業社長)など。

 Session2の出演は、広瀬浩二郎さん(国立民族学博物館准教授)、関野吉晴さん(探検家)、鎌田東二さん(宗教学者)、ケロッピー前田さん(ジャーナリスト)、郡司ペギオ幸夫さん(早稲田大学教授)、人工知能美学芸術研究会(アーティスト)、佐治晴夫さん(宇宙物理学者)など。

 ナレーションは、パンク歌手で作家の町田康さん。

 「影からの声」という謎めいたクレジットで美術評論家の椹木野衣さんがスタッフとして参加している。

いま、この国のアートに何が起こっているのか?

 2022年は、「瀬戸内国際芸術祭」「越後妻有 大地の芸術祭」「あいち2022」など、国内で数多くの大規模な芸術祭が開催される年。そんなお祭り気分に冷水を浴びせかけるかのようなタイトルの、この映画が提起するのは何か。

 難解さで知られる荒川修作を読み解いた前々作と、縄文文化を探求して全国100カ所にも及ぶ旅をまとめた前作が、いずれもイメージフォーラムで予想を超えるスマッシュヒットとなった山岡監督。

 そんな撮影を通じて、山岡監督はアート鑑賞に何も感じない「アート不感症」に陥った。

 なぜアートを素直に楽しむことができなくなってしまったのか--。山岡監督は、日本におけるアートの意味を探る「旅」を決意する。

 最初の旅は、アートの意義を探る「Session1」。続く「Session2」では、アートの枠組みを超えて人間に本当に必要とされる「アート的なもの」は何なのかを構築し直した。

構成

Session1 惰性の王国

第1部 「アート」

Chapter1 アートはなぜ必要か?
 アートの必要性についてのベーシックな考察。人間性や社会を成り立たせるツールとしてのアート、あるいは、文化を生み出す根源としてのアートを探る。

Chapter2 違和感の正体
 美術館の中で語られるアートの限界や、アート界の男女比からみるいびつな構造。マルセル・デュシャンが現代アートに及ぼした影響と「泉」が広まっていく経緯について。

Chapter3 アートの境界
 アートとアートでないものの境界線上にあるものを考える。ネイティブアメリカンのカチーナ人形は、現地の人々にとって、どのようなものであるのか。生き物を扱うアートとしての盆栽から見えてくる芸術の別の側面。さらには、コミュニティをつくることのアートとの類似点。

Chapter4 荒川修作/三鷹天命反転住宅
 ニューヨークのグッゲンハイム美術館で日本人初の個展を開きながらも、その後、アートをやめた荒川修作が目指したものについて。「自分はデュシャンを超えた」「アートは役に立たなくてはならない」という言葉の意味を考察する。

第2部 社会

Chapter1 貨幣価値
 アートが貨幣価値を基準に語られる現状とお金を産むアートとそうでないものの差について。

Chapter2あいちトリエンナーレ2019
 「表現の不自由展・その後」が生み出した波紋と、どのような対応がありえたのかついての考察。

Chapter3「芸術は必要不可欠だ」とはどう言う意味なのか?
 パンデミックの際、ドイツの文化大臣が述べた「芸術は必要不可欠だ」という言葉が日本でも成り立つかどうかについての検証。

Chapter4 惰性の王国
 生殖のための性行為は本来、子孫を残すための行為であるが、ラブドールに欲情するようになった人間の現実は何を意味するのか。アートに対する感性以前に全てが「ウソ」に満ちたこの世界で、アートの嘘のなんとちっぽけなことよ。

Session2 46億年の孤独

第3部 あーと>アート

Chapter1 「いる」とか「いらない」の外側
 蜂と話をしながら共同でオブジェを作るという行為はなんの役にも立たないが、科学や芸術を越境したそういうカテゴライズ不可能な世界こそ、アートが本来持っていた力ではないか。

Chapter2 別世界観念
 「なまはげ」のような、異世界を日常に持ち込むことで社会を成り立たせる文化や、視覚障害を持ちながらアートを制作し、目が見える人たちの感覚を知ろうというアーティスト。本人にとって切実な価値がある世界観について探る。

Chapter3 玉川上水46億年を歩く
 玉川上水の46キロを46億年に見立てて歩くという、資本主義にのらないアートについて考察する。

Chapter4「あーと」はなぜ必要か?
 ラスコーの洞窟壁画は、絵よりもその空間に対して人間が反応したことが重要ではないかという考察。また、過激な身体改造によって、自分が別のものになることによって、逆説的に自分を取り戻す行為の根源的なアート性について。

Chapter5 “わたし”というアート
絵画療法からみるアートの役割。

第4部 人の外からのアート

Chapter1 私という矛盾 生命という矛盾 矛盾というあーと
 私というものも、生命というものも、自分が計り知れない外側を絶えず取り込むことによって成立している。アートという行為は本来、それを人間に感じさせてくれるものなのではないか。

Chapter2 人工知能に美意識は芽生えるのか?
 自意識を持った人工知能が自らの意思で「アートのためのアート」を作ったとき、アートはより完成形に近づくのかもしれないという考察。

Chapter3 (壁画)
 どこかにいるはずの「他者」に接近しようという試みは、ラスコーの洞窟壁画とNASAのボイジャー計画に共通している。ラスコーは、アートというより、コミュニケーションサイエンスの原点なのではないか。

Chapter4 『不完全』という希望
 自意識を持つがゆえに生態系の頂点に君臨しているというのは、それこそが自意識過剰なのかもしれない。自意識を持たないとされている生き物の方がより完全に見えるのはなぜか? だが、人間は地球で唯一の自意識を持った生物として、「不完全製造係」という役割を粛々と守り続けてゆくしかないのかも。

最終章 日本人の自画像
 ニューヨークで荒川修作の助手を7年間務めていた大浦信行さんが三鷹天命反転住宅を訪問。感想を述べ、問題作「遠近を抱えて」がどういう意味で自画像であるのかについて語る。パンデミックの中、誰が強制したわけでもないのに、ほとんど無人となった山手線がスケジュール通りに何本も無駄に走り続けるさまは、まさに日本人の自画像である。

監督 山岡信貴

 1993年に初長編映画「PICKLED PUNK」を監督。ベルリン映画祭ほか多数の映画祭に招待上映される。以後も、実験的なスタイルを貫きながら、定期的に作品を発表。視覚の心理状態への影響の研究やデバイス開発等、サイエンスの分野にも積極的に取り組んでいる。

 2013年には、ロサンゼルスのIndependent film makers showcaseで、全長編作品のレトロスペクティブが開催された。2010年から、ドキュメンタリー映画の分野にも進出。「死なない子供、荒川修作」「縄文にハマる人々」「トゥレップ ー海獣の子供を探してー」などを発表した。「縄文にハマる人々」と新作ホラー映画「センチメンタル」では、ルミエール・ジャパン・アワード優秀作品賞を受賞する。

配給:リタピクチャル ©︎2021 リタピクチャル

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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