AIN SOPH DISPATCH(名古屋) 2021年4月16日〜 5月1日
愛知県芸術文化選奨新人賞受賞記念展「集合」
荒木由香里さんは1983年、三重県生まれ。名古屋芸術大学美術学部造形科卒業。
AIN SOPH DISPATCHでの個展のほか、2009年、「アーツチャレンジ2009 新進アーティストの発見in愛知」(愛知芸術文化センター )に参加。2011年には、あいちトリエンナーレ地域展開事業の一環で、三河湾の佐久島での個展「星を想う場所」を開いている。
2009年の越後妻有アートトリエンナーレなど、各地の個展、グループ展で活躍の幅を広げている。
本展は、2020年度の愛知県芸術文化選奨新人賞の受賞記念展。2007年のAIN SOPH DISPATCHでの初個展から、2020年までの約50点を振り返る企画である。
荒木さんの作品は、靴、アクセサリーなど身につけるもの、文具、調理具など身の回りの日用品、そのほかの玩具、釣り道具を含め、多種多様なものを寄せ集め、緊密に構成した小立体が基本である。
こうしたアッサッンブラージュの手法自体は珍しくないが、構成するときの物の選び方、造形・色彩感覚、美的センス、作品から醸成される世界観に注目すべきところがある。
また、初期には、既製品をビーズなどで覆うことでデコレーションし、作品化したものもある。覆う行為によって、美しく変容させ、新たな価値と意味を生みだしている。
今回は、原点といえる作品から、フィールドワークによって、土地の風土や歴史、場所の空気を反映させた近作まで、さまざまなタイプの作品が並び、一貫した問題意識とともに作品の変遷を見ることができる。
靴や玩具など元の物の原形を残した作品から、キマイラのような異形に変容したもの、エレガントな作品、荘厳な印象のものまで、作品の雰囲気は多様である。
今回展示された最も古い作品が、あるカップル(夫婦)が履いていた女性用(右)と男性用(左)の靴をビーズで覆い尽くした「完璧なペア」(2007年)である。ちなみに、左右が逆のバージョンもある。
2人で過ごした過去の時間がしみ込んだ靴も、履き潰せば捨てられる。それをビーズで装飾し直し、同じ靴紐で結んでいる。
白いビーズは美しい半面、脆く儚げでもある。ロマンチックな雰囲気を醸すとともに、愛の結び直し、出会いの偶然性、人生の無常とあゆみの不可思議さも表しているようである。
「Plastic」(2008年)は、佐久島・弁天サロンでの個展に際して制作された。浜辺に打ち寄せられたプラスティック、シーグラス、陶片でハイヒールの表面を埋め尽くしている。
ハイヒールは、荒木さんがかつて、よく素材に使った。色彩的にも、とても美しい作品である。
ハイヒールは、美しい形の女性のファッション・アイテムである。一方、海岸で偶然に出会ったプラスティック、ガラス等の小片は、捨てられた物が長い年月をかけ、波にもまれて砕けた。
ハイヒールが「ごみ」の小片で覆われ、美しさの質が変化しているのは、なかなか意味深である。
「monster」(2009年)は、玩具の恐竜フィギュアの表面を、切り刻んだ造花、鳥の羽で覆っている。
荒木さんの作品には、ジェンダー的なテーマを感じることがある。アクセサリーやビーズ、髪留め、ファーなどを素材にしているからかもしれない。
この作品も、恐竜を異質なものに変化させるため、造花や羽が選ばれている。荒々しい恐竜の姿を花で一変させてしまうのがユニークである。
「Jamila」(2013年)は、釣具のウキを使った、とても面白い作品。動物が毛を逆立てたようにも見える。
もともとウルトラマンに登場する架空の怪獣である「ジャミラ」のフィギュアが、ウキで覆われ、想像だにできない姿になっている。
「鳥とハイヒールにみる形」の連作(2014年)は4点展示されていた。
この作品は、荒木さんの造形感覚とセンス、想像力がとてもよく現れている。
ハイヒールのフォルムの官能的な美しさ、軽やかさ、とりわけ、ヒール部分と脚との連想で鳥が結びつけられ、多種多様なものがアッサンブラージュされる。
注目すべきは、セクシーでシャープなハイヒールの形態に危険な香り、攻撃性をかぎとり、鋭利なナイフやフォーク、ピストルの玩具など凶器になるものが組み合わされている点だ。
ナイフや虫眼鏡など、光を反射するもの、透過するものも利用されている。
やや大きめの「鳥とハイヒールにみる形」(2014年)は、物がタワーのように上に伸びた形態である。
さまざまな性質、機能、デザインのものが引き寄せられるように出会い、劇的な異化作用を生んでいる。
荒木さんの作品では、「ミシンと蝙蝠傘との解剖台の上での偶然の出会い」という、ロートレアモン「マルドロールの歌」の一節のような、日常から切断した物の思いがけない組み合わせによるデペイズマンの効果も見逃せない。
形態やデザイン、機能、色彩などの共通性、連想と、関係性や日常の環境、コンテキストからの切断。自由な想像力で、その両方を同時に作用させながら、新しいオブジェを制作していることがよくわかる。
「Untitled」(2016年)は、陶芸家の失敗作を球状に寄せ集めた作品。その下には、モザイクタイルを荒木さん自身が埋め込んだ台を配置している。
多数の物を蝟集させた物体を吊るすというスタイルの作品も荒木さんは多く手がけている。
同様に、「Accessories」(2016年)は髪留めや、その他のアクセサリー類が結合する。
これらの作品では、陶磁器や、髪留め・アクセサリーといった同種のものを合体させることで、逆に、それぞれの形やデザイン、色彩の違いが、1つ1つあらわになるのが面白い。
つまり、それぞれの陶磁器や髪留めなどの色やデザイン、形の差異が際立ち、強調されることで、タイポロジーのような効果を生んでいるのである。
他方、上の写真の「Untitled」(2016年)」は、異なる種類の物が吸い寄せられるように集まっているパターン。
結合した物はバラエティーに富むが、特に白いファーの存在が目立つ。
本をモチーフにした「帆、あるいは雲」(2018年)は、それまでの作品とは少し趣が異なる。
奈良県立大学で開かれた現代アート展「船/橋 わたす 2018」での展示が基になっている。
会場では、大学図書館で不要になった大量の本を積み上げたインスタレーションを展示した。
それぞれの本は開かれたかたちで置かれ、その一部ページにミラーフィルムが貼られ、レンズも置かれた。
今回は、そのときの1冊が作品化され、虫眼鏡も置かれている。本は、知識、情報の象徴である。
人間は、膨大な情報の渦の中に生き、知の体系のほんの一部さえ、つかみきれない。人間と情報の関わりの複雑さを、覗き込む人や周囲を映すミラーフィルム、光に作用するレンズ、文字を拡大する虫眼鏡が表している。
「蓬莱の、火鼠の、仏の、龍の、燕の。酒店」(2020年)は、8点ほどが出品されている。「富士の山ビエンナーレ2020」で展示されたインスタレーションの一部である。
既に閉店している酒店で、什器やディスプレイ、小物などの残地物を再構成しながら、それぞれを荒木さん流のオブジェに変容させたインスタレーションである。
周囲の世界に目を向け、切り離されていた事物を結び合わせることで、新たな生命が吹き込まれ、価値の変換、意味の生成が生じるとともに、物と空間が美しく、豊かに変容する。
同系の色彩、相互に呼応する形、連想されるもの、同じ仲間の物、逆にまったく分野の異なるもの、古い物と新しい物など、物が集められる視点はさまざまである。
コンテキストから離れたさまざまなものが集まり、本来の意味を剥ぎ取られながら、ささやくような主張を始める。
それらは結合しながら、1つ1つが粒立つように存在感を現し、同時に、美しい宇宙のような造形物となって、新たな意味と物語、つながり、世界の美しさを開いてくれるのである。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)