ガレリア フィナルテ(名古屋) 2021年1月12日〜2月6日
赤塚祐二&伊藤誠展
1955年、名古屋市出身の彫刻家、伊藤誠さんと、1955年、鹿児島県生まれの画家、赤塚祐二さんの2人展である。
筆者は、1990年代後半、フィナルテでの個展を取材しているが、それから20年以上が過ぎた。
とても、気持ちの良い展示空間になっている。
1990年代は、彫刻や絵画のグループ展が多く開かれた。
伊藤さんは1992年の「現代美術への視点・形象のはざまに」(東京国立近代美術館)、1995年の「現代美術の場と空間《やわらかく、重く》」(埼玉県立近代美術館)、「視ることのアレゴリー1995:絵画・彫刻の現在」(セゾン美術館)に出品。
赤塚さんも、「形象のはざまに」、「視ることのアレゴリー 」、2003年の「絵画の力 80年代以降の日本の絵画」(東京都現代美術館)などに出品した。
伊藤誠
伊藤誠さんは、FRPやステンレスメッシュ、鉄、ゴムなどの素材による彫刻で知られる。
今回の素材は、鉄や木が中心。
彫刻といいながらも、強い存在感は巧妙にずらされ、ノンシャランなたたずまい、捉え難いユーモラスな態様が逆にとても魅力的であった。
シンプルでありながら、複雑という位相を示すポスト・ミニマリズムの作品は、それ自体が見ることへの問いかけになっているようである。
作品はところどころ彩色がしてある。見る位置、方向によって、1つの作品とは思えないぐらい、見え方が変化し、多元性と豊かさを感じさせてくれる。
つまり、単純さと複雑さの間で行き来している。
製品に使われるような素材を使いながら、造形や彩色に手作業の痕跡が残り、そうした表情によって硬質さと同時に柔らかさを併せ持つ。
移動しながら見ると、あるものが生成し、入れ替わりに何かが消えるような形象の現れ、異なる知覚体験へと誘う。
作品の周りを巡り、上から下からと視線を変えると、ほかの作品との関係も変化する。
1つの形の定まった彫刻であるのに、面や線による構成が過渡的なものを求めて動いているような錯覚さえ覚える。
赤塚祐二
赤塚祐二さんは、重厚でありながら、圧倒的な豊穣さ、空間性をもったペインティングで知られるが、今回は、2人展ということもあってドローイングである。
「ケージとカナリア」と題された鉛筆、アクリル、クレパスによる連作である。
少しくすんだ色彩による曲線、歪んだ細胞のような形象の広がり、不定形の重なりがたおやかな空間を作っている。
「ケージとカナリア」というタイトルだが、鳥かごと、カナリアが描かれているわけではない。
鳥かごは絵画の基本的な枠組み、形式であり、カナリアは、その中にある内容、形象である。
つまり、赤塚さんは、形式と内容という絵画の基本のどちらが欠落してもいけないという意識を自分の中に確固としたものとして抱えている。
形象という内容が絵画という形式とともにあり、形象によって絵画空間が生まれるという根本を揺るぎなく追究している。