ギャラリー数寄(愛知県江南市) 2024年7月13〜28日
味岡伸太郎
味岡伸太郎さんは1949年、愛知県豊橋市生まれ。自ら山に入って採取した土を塗る「絵画」、木の幹、枝を使った造形作品などで知られる。
それ以外にも、書、陶芸作品、インスタレーション、書体や、本、雑誌の編集など、幅広い創作を長く続けている。筆者は1990年代、土を素材とした現代美術や、前衛日本画の系譜の再考をテーマとした美術館の企画で作品を見る機会があった。
2015年には「愛知ノート -土・陶・風土・記憶- 」( 愛知県陶磁美術館)、2016年には「あいちトリエンナーレ2016 」に参加した。
ギャラリー数寄では2015年に個展を開催。2019年、ギャラリーサンセリテ(愛知県豊橋市)で個展、2021年、RED AND BLUE GALLERY(東京)で個展を開いた。最近は、浜松市のHIRANO ART GALLERYでも発表している。2022年には、豊橋市の陶芸家、稲吉オサムさんとの2人展をギャラリー数寄で開いた。
美術は、何を描くか、作るかという内容のみならず、そのジャンルの形式面、どのような独自の方法論を取るかが問われる。
味岡さんは、主に自然の中に入り、土、木の幹、枝という素材を選択し、限定した制作方法に絞ることで作品世界を展開させてきた。
味岡さんが使う土や木の枝は、偶然出会った自然の一部そのものと言っていい素材である。制作方法もシンプルさを極めている。だから、生まれた作品は「邂逅」であり、「聯想(連想)」なのだ。
制作手法を一定にすることで、自然を支配的にコントロールすることをできるだけ減じる。味岡さんの制作も、自然にコントロールを加えるが、支配的ではない。むしろ、自然を受け入れる。
かといって、自然を甘やかすこともしない。作家としての味岡さんのいのちの働きが関わる。極限化した方法論によって作為を排除する絶妙な関係性が味岡さんの作品である。それが批評性であり、思想性であり、感覚と論理の融合でもある。
もう1点、重要なのは、味岡さんの作品が、土の「絵画」、幹や枝の「彫刻」(オブジェ)、土を手で包む「陶芸」など、いずれも近代までの美術のジャンル、制度を意識しながら(あるいは意識せずとも制作の結果として)、ラジカルにそれを問い直していることだ。
全ては、簡素で、純粋で、抑制的である。例えば、土による茶碗のような造形は、土を両手で柔らく包み込むといった禁欲的な所作で形が生まれることが狙いである。
「弓張・邂逅と聯想」2024年
ギャラリー数寄の1、2階の広い空間にさまざまな作品を展示している。別のギャラリーでも重複する作品を見せたが、2年前に最初に個展が決まったのがギャラリー数寄である。ゆえに全体の構成、展示方法を含め、今回がゴールともいえる。
味岡さんは愛知県と静岡県の境に弓状に連なる弓張山地の麓の断層から18の階層ごとに土を採取している。
2階の空間には、これらの土を階層状に綿布に塗った作品9点が飾られている。土の色彩と物質感、美しさが際立ち、全体がインスタレーションと言ってもいい展示である。
抑制的な、しかし、作家としての関わりによって、自然の摂理、根源的な法則が純化するように導かれている。
1階には、これらとは別に、弓張山地の土を薄くといて、筆で塗りつけ、さらに万葉集で「弓」を取り上げた和歌を選んで、木炭でその文字をドローイングした作品が展示されている。
おのおのが別の作品であるが、正面の壁面には、作品と作品の間隔を広く空けずに並べていて、1つの長大な絵巻物のような見せ方をしているのが興味深い。柿本人麻呂の歌、防人歌も交じる。
ただ、味岡さんは、それらの和歌の意味内容の仔細をここで伝えようとしているわけではない。これもまた、邂逅と聯想(連想)による方法論なのである。
2階の作品が、出会った土を採取し、階層的に綿布に塗るという方法論によって自然法則を表すように、ここでは、1つの宇宙のような万葉集の中から偶然にも選ばれた和歌の万葉仮名(文字)の連なりが、作為ではない瞬間の連続として空間の中の軌跡となっているのだ。
1階には、弓張山地の麓で得たマユミ、エノキの枝の一部に、ステンレスワイヤで弓を張ることで、形態を変化させた作品もある。
マユミは、「真弓、檀弓」と表記する。弓の材料として最適で、古来から、武具として珍重されてきた木である。
1つの枝に1つの弦をかけて弓を張る。そのぎりぎりのところで、偶然、新たな形と出会う。自然、宇宙と出会う。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)