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あいちトリエンナーレ[表現の不自由展・その後]中止 会場・作品ルポ

表現の不自由展・その後

 2019年8月4日の中日新聞、朝日新聞などによると、「あいちトリエンナーレ2019」の国際現代美術展の中の「表現の不自由展・その後」で、慰安婦を象徴する少女像などへの批判や抗議が相次ぎ、名古屋市の河村たかし市長からも展示中止などを求める抗議文が提出された問題で3日、トリエンナーレ実行委の会長を務める大村秀章愛知県知事が3日までで展示を中止することを会見で明らかにした。千件以上にもなる抗議などが殺到。テロ予告や脅迫もあり、安全性の確保が難しい状況になっているのが理由という。「大至急撤去しろ。ガソリンの携行缶を持ってお邪魔する」との脅迫文も送られた。津田大介芸術監督も同日会見し、「電話による攻撃で文化事業をつぶせてしまう悪しき事例をつくってしまった」などと述べた。「表現の不自由展・その後」の実行委は緊急会見し、中止に抗議し継続を求める声明を発表。法的措置を含めて対応を検討するという。

 朝日新聞によると、抗議の内訳は、半数が慰安婦を象徴する「平和の少女像」についてで、4割ほどが昭和天皇を思い起こさせる作品に関するものだった。少女像の制作者の韓国人は「作品を通じて、日本の市民と対話をしたいと思っていた。お互いを知ることが平和に続く道だと思っている。とても残念だ」と語ったという。

 朝日新聞によると、上智大元教授の田島泰彦さんが「広い意味で表現の自由の侵害や、検閲的な行為があったといえる。非常に問題だ」とコメント。早稲田大名誉教授の戸波江二さんは「今回の中止決定は極めて残念だ。(中略)混乱を理由に取りやめるのは、反対派の思うつぼだ」と述べた。

 中日新聞によると、出品作家の白川昌生さんが「悪しき前例をつくった。美術館などが萎縮しなければいいが」、中垣克久さんは「作家抜きでの中止決定は間違い」などとコメント。両紙によると、少女像の頭部に紙袋のようなものをかぶせる人や、「公序良俗に反する」とスタッフに詰め寄る人もいた一方で、「日韓関係や表現の自由などを考えるきっかけになった」「(河村市長は)個人の意見を公の意見であるかのように言うのはおかしい」などの意見もあった。日本ペンクラブは、展示の中止を求めた河村たかし名古屋市長の発言を「政治的圧力そのもので、憲法21条2項が禁じる『検閲』にもつながる」などとする声明を発表した。8月5日の朝日新聞によると、4日午後2時から、会場の玄関付近で抗議集会が始まり、全国から集まった約30人が「見たかったのに!暴力で『表現の自由を封殺するな!」の横断幕を掲げた。午後5時からも、名古屋・栄で200人規模の抗議集会があったという。

 現代の作家が同時代の視点で歴史や社会、世界、人間について考えさせる表現が集まる国際展で最大限守られるべき表現の自由が圧力によって潰され、逆に不自由さが可視化された。7月31日のプレスツアーに続き、8月3日午後に再度訪れた会場をルポし、実際にどんな作品が展示されていたのか全作品を紹介する。掲載した画像は、会場に掲示されていた「表現の不自由をめぐる年表」(表現の不自由展実行委作成)と、プレスツアー時等に撮影した作品写真の中から一部に限って掲載した。

 3日午後2時頃、愛知芸術文化センター(愛知県美術館)のトリエンナーレ会場に着くと、まずまず賑わっている様子。それでも、展示空間が広いため、それほど混雑している印象は受けない。ところが、「表現の不自由展・その後」の前では行列ができ、「(ここが)最後尾」の看板を持ったスタッフが立っていた。待ち時間に知人の画廊主と美術館学芸員に遭遇。聞くと、「撤去前に見納め」とのことだった。スタッフから「約1時間待ち」と言われたが、実際には20分ほどで入場できた。入り口に「(作品の)撮影写真・動画のSNS投稿禁止」の掲示がある。「SNSに上げなければ、撮影はいいのか」と確認する観客の姿も見られた。なお、展示作品の説明は、トリエンナーレ会場に掲示されたものに依拠している。

大浦信行

 会場に入ると、狭い通路があり、ここが混雑の原因。最初に大浦信行のシルクスクリーン・リトグラフ「遠近を抱えて」(1982-83年)がある。これは1986年に富山県立近代美術館主催「86富山の美術」で展示され、その後の日本の美術界で長くトピックとなった作品である。いわゆる「天皇コラージュ事件」で、作家は、自分自身の拡散する肖像イメージと逆に中に向かう作られたものとしての昭和天皇のイメージのせめぎ合い、葛藤を主題にした自画像であるとの趣旨の発言をしている。展覧会後に県議会で「不快」だと問題視され、マスコミ報道、右翼団体の抗議もあって図録非公開に発展。1993年には美術館は作品を売却、図録の残部470冊全てを焼却した。作品公開と図録再販を争った作家と市民など支援者による6年にわたる裁判も敗訴した。トリエンナーレの会場では、このコラージュ作品と作品を燃やすシーンを挿入した動画「遠近を抱えてPartII」が公開された。

嶋田美子

 その向かいの壁にあるのは、嶋田美子のエッチング「焼かれるべき絵」「焼かれるべき絵:焼いたもの」(1993年)。これは①の事件を契機に制作され、原画と、焼かれた作品、焼いた時の写真、富山県立近代美術館への抗議の過程などで構成された。顔が消された昭和天皇像と推測されるモチーフが使われ、それによって、鑑賞者が自国の負の歴史、戦争責任を自分へと問いかける主題性を持っている。

小泉明朗

 その隣にあったのが小泉明朗「空気#1」(2016年)。天皇の家族写真が公開されるときの部屋と推定される写真イメージをプリントしたキャンバスにアクリル絵の具で彩色した作品である。皇室のイメージの写真に絵の具の層(レイヤー)を重ねることで日本社会の不可視の制度を問いかけているとされる。2016年の東京都現代美術館の「MOTマニュアル2016 キセイノセイキ」に出展予定だったが、館との交渉の末に断念。直後に画廊で展示された。館の懸念の一つは「多くの人が持つ宗教的な畏敬の念を侮辱する可能性」だったという。

藤江民

 その対面の壁にあるもう一つの作品が藤江民のシルクスクリーン「Tami Fujie 1986 work」(1994年)。藤江も「86富山の美術」の招待作家で、天皇コラージュ事件に伴う図録焼却によって、自身の作品データも失われた。作品は、図録が焚書扱いにされたことを批判し、94年には主催者の富山市からの反対をはねのけ、「ART EDGE’94」に出品された。藤江は表現の自由を考える活動を続け、「美術と美術館のあいだを考える会」の結成にもつながる。機関誌「あいだ」(福住治夫編集長)は会休止後の現在も発行されている。

横尾忠則

 その奥にあるのは横尾忠則作品の写真で、ラッピング電車の第五号案「ターザン」など(2011年)と、オフセット印刷「暗黒舞踏派ガルメラ商会」(1965年)。前者は、JR西日本が2005年の尼崎JR脱線事故を鑑み、「ターザンの叫ぶ姿が脱線事故の被害者と重なるという声が出かねない」との理由で、ラッピング電車案が拒絶したもの。他方、後者は、2012-13年に米ニューヨーク近代美術館(MoMA)で開かれた「TOKYO 1955-1970:新しい前衛」展で、ポスターに使われた「朝日」が旧日本軍の旭日旗を思わせる軍国主義的なものだとして、在米韓国系市民団体から抗議を受けた。

大橋藍

 さらに奥にある大橋藍「アルバイト先の香港式中華料理屋の社長から『オレ、中国のもの食わないから。』と言われて頂いた、厨房で働く香港出身のKさんからのお土産のお菓子」(2018年、テキスト・ 蛋黄酥・ビニール袋)は、2018年の五美大展(国立新美術館)で、腐敗の恐れがあるとして箱の中のお菓子が出品禁止となったが、個別包装されていたので1年後も腐敗しなかったため、根底にあるのは民族問題の主題への拒否と推定された。

作者非公開

 作者非公開の9条俳句「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」は、さいたま市大宮区の三橋公民館の俳句サークルで一位に選ばれ、2014年7月の月報に掲載されるはずだったが、公民館側が拒否。戦争放棄を掲げた日本国憲法9条を扱うことが政治的だとされた。自治体の政権への忖度や過剰規制の象徴であるとして、多くの市民応援団とともに作者が提訴し、2018年12月に勝訴した。

マネキンフラッシュモブ

 マネキンフラッシュモブは、公の場で数分間静止するパフォーマンス。「WAR IS OVER」「ABE IS OVER」などのボードを示す静寂のアクションだが、2016年、神奈川県海老名市は海老名駅前自由通路での「モブ」が条例違反だとして、禁止命令を出し、次に同様のことをしたら5万円以下の過料を科すと警告した。モブ側は表現の自由の侵害だとして市を提訴。2017年、横浜地裁は禁止命令の取り消しを命じ、モブ側が勝訴した。

永畑幸司

 永畑幸司「福島サウンドスケープ」(2011-2019年)は、音で福島の実態を伝える試み。福島県内各地のサウンドスケープを調べると、放射性物質の除染の音が住宅地より商業的価値の高い地域で高いことがわかった。2013年、千葉県立中央博物館での「音の風景」展に出品されたが、作家自筆の説明文が検閲・修正された。福島大学の学長と執行部への除染活動不徹底を批判する箇所の削除だった。

白川昌生

 白川昌生「群馬県朝鮮人強制連行追悼碑」(2015年、布・木・発泡スチロール)は、群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」にある「記憶 反省 そして友好」と名付けられた朝鮮・韓国人の強制連行犠牲者の追悼碑が主題。県が立ち退きを求め、設置者と裁判になっている。作品はほぼ実物大で、「碑」は白布がかけられ見えず、あえて犠牲者の忘却・隠蔽を表現しているようにも見える。塔は黄色で覆われている。最初、2015年に東京・表参道画廊で展示され、次に2017年、鳥取県立博物館にも並んだが、直後、追悼碑と同じ公園内にある群馬県立近代美術館での「群馬の美術2017」では、係争中の事件に関わるためとして、展示を拒否された。

Chim↑Pom

 会場一番奥の仕切られた狭いスペースにあるのが、Chim↑Pomの動画作品「気合い100連発」(2011年)、「耐え難き気合い100連発」(2015年)。東日本大震災の被災地で、円陣を組んで気合いを入れている動画である。これまで20カ国ほどで展示されたが、ある国でのビエンナーレで主催者の国際交流基金から NGが出たという。会場の説明ボードも、Chim↑Pomのもので、やや分かりにくいが、「スタッフからオフレコとして(NGの)理由を説明してくれたのに、その内容を反映したバージョンとして今回作品を展示しちゃって本当に申し訳ないが、つまりは『安倍政権になってから、海外での事業へのチェックが厳しくなっている。書類としての通達はないが、最近は放射能、福島、慰安婦、朝鮮などのNGワードがあり、それに背くと首相に近い部署の人間から直接クレームがくる』とのこと。NGワードをぼかすような編集も提案されたが、結局は他の作品を出品することで合意。今回はその提案にのっとったバージョンを展示。『今は我慢するしかない』との職員の悔しそうな言葉に戦前のような響きを感じた」と書かれていた。なお、会場には、「《平和の少女像》に込められた12の象徴」と題するパネルもあった。

キム・ソギョン、キム・ウンソン夫妻

 Chim↑Pomの展示スペースの横、この企画展の一番奥に、今回、最も抗議があった韓国の彫刻家キム・ソギョン、キム・ウンソン夫妻の「平和の少女像」(2011年、FRPにアクリル彩色)、「平和の少女像」(2011年、ブロンズ)があった。二人は、1980年代の韓国の独裁政権に抵抗し展開された民衆芸術の流れをくみ、精神が脈々と受け継がれている。「慰安婦」被害者の人権と名誉を回復するため在韓日本大使館前で20年続いてきた水曜デモ1000回を記念し、当事者の意志と女性の人権の闘いをたたえ、継承する追悼碑として市民団体が構想し、市民の募金で建てられた。最大の特徴は、台座は低く、椅子に座ると、目の高さが少女と同じになるなど、見る人と「意思疎通」できるようになっているという。2012年に、東京都美術館での「JAALA国際交流展」でミニチュアが展示されたが、同館運営要綱に抵触するとして、作家が知らないまま、4日目に撤去された。戦中から現在まで、女性の一生の痛みを表すハルモニになった影、戦後も故郷に戻れず、戻っても安心して暮らせなかった道のりを表す傷だらけで踵が浮いた足(これは韓国社会をも省察したもの)など、本作細部に宿る意味も重要だという。

安世鴻

 その横に、韓国人写真家、安世鴻の写真「重重—中国に残された朝鮮人日本軍『慰安婦』の女性たち」(2012年、韓紙にピグメントプリント)があった。日本敗戦後、中国に置き去りにされた朝鮮人の日本軍「慰安婦」被害者たちを2001年から5年かけて探し当て、12人を写真に収めたという。韓国伝統の韓紙に焼き付けられたモノクロ写真には、印画紙とは異なる陰影と風合いがある。何度も足を運び、泣き笑い語り合い、日常の困りごとを手伝い、最後に撮影したという。「重重」というタイトルで、2012年、新宿ニコンサロンでの写真展が決まったが、開催1カ月前、ニコンが「諸般の事情」で一方的に中止を通告。安の仮処分申請で実現した写真展には、同サロン史上最多の7900人が来場した。その後、3年に及ぶ裁判で、写真展を非難する右派の抗議に対するニコンの過度な「自主規制」が明らかとなり、2015年末、原告が勝訴した。安は、6カ国に存在する140人以上の被害者を探し出し、今も撮り続けているという。

中垣克久

 床にあるドームのような作品は、中垣克久「時代の肖像—絶滅危惧種 idiot JAPONICA 円墳—」(2014年、竹・紙)。かまくら型の外壁には、憲法9条尊重、安倍政権の右傾化への警鐘などの言葉を掲げ、天頂部には日の丸、底部には星条旗があり、対米追従軍拡批判の見取り図と社会メッセージを提示した作品だと分かる。2014年、東京都美術館の「第7回現代日本彫刻作家展」で作品のメッセージが館からの検閲によって問題視され、その部分の撤去を強いられた。

岡本光博

 シャッターにウレタン塗料で描いた岡本光博「落米のおそれあり」(2017年)は、交通標識「落石のおそれあり」をもじったもので、米軍機の墜落という人為的事故を自然現象とあえて対比し、シャッターに描かれたグラフィティというメッセージとして事故の意味を問いかける。2017年の沖縄県うるま市の地域美術展、イチハナリアートプロジェクトに出品されたが、自治会長が「展覧会にふさわしくない」と言い、市の判断で封印された。その後の新聞報道と地元の作家たちの抗議によって、最終日に1日だけ場所を移して再公開された。

趙延修

 趙延修「償わなければならないこと」(2016年、キャンバスに油彩)。一人の高校生がいわゆる日韓「合意」を知って、日本軍「慰安婦」の「被害者たちの尊厳はどうなるのかと憤りを感じ」(趙)、1枚の絵を描いた。顔は大きく歪み、止まらない涙とともに溶けてしまいそうな目。心の奥底にある苦痛の声が聞こえてきそうな口。沈黙を強いられたのか、口のない女性もいる・・・これが尊厳を奪われた被害女性たちの姿である。その背後にヘルメットと目だけで描かれているのは、無数の日本軍兵士たち。彼らもまた人権を踏みにじられていたと趙延修は捉え、戦争を描いている。本作を含む「ウリハッキョと千葉のともだち展」(2016年12月、千葉市美術館)に対し、日韓「合意」否定を含む内容があるなどとし、2017年4月、熊谷俊人千葉市長は「地域交流がテーマのイベントで政府批判を展開するのはふさわしくない」と、すでに決定していた補助金50万円の交付を取りやめ、現在まで再開していない。

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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