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あいちトリエンナーレ存続の方程式 ~市民性育てるアゴラへ~

この記事は、「REAR」第24号(「I(ハート)あいちトリエンナーレ」。2010年)に掲載された記事を再録したものです。

Ⅰ 序――問題提起

 あいちトリエンナーレのオープニングが近づいてきた。テーマは「都市の祝祭」。愛知県(あるいは名古屋市)で画期的ともいえる現代芸術の祭典にとって、本当の成功とは何を指すのか。継続はできるのか。意義あるものにするには、どうすればいいのか。そんなことを考えながら、直前を迎えた。名古屋でこれまで現代美術などの芸術にかかわってきた人たちからは不満も多く聞いた。せっかくやるのだから、何かを残してほしいと願う。スター作家や最先端の作品を集めて、一定のクオリティがある大イベントに仕立てるには、外部の人材に依存し、地域のステークホルダーや民主主義をある程度押さえ込まざるを得ないのは、よく分かる。ただ、それでもやはり違和感は残る。とにかく大イベントだから「あれもこれも」と外面こそ大事にしている感覚と言えばいいか、端的に言うと、地に足がついていない、地域社会の中に構造化され得ない浮遊感覚だ。大型イベントとして外から楽しく見えるような体裁を整えるばかりに、アートの娯楽面やスペクタクル、先端性や流行ばかりを強調して、「アート=イベント」という安易さで自ら全面を覆ってしまったようにも思える。いずれにせよ、今回のトリエンナーレは、十月末には終わる。祭りの後に何が残るだろうか。
もともと、現代美術の存立のあり方が脆弱で閉じている日本で、広く耳目を集めた現代美術展は観光資源やまちづくり、地域おこしなど、「何かの役に立つアート」として、客を呼べた成功例が専らだった。身内の論理に終始してきた多くの美術関係者も、社会との接点を十分に深められずにきたのだから、あいちトリエンナーレを遂行するため、急ごしらえで集められた愛知県の職員たちが、「とにかく及第点の集客をと」と短期的な視野に縛られるのもやむなし、と言えるかもしれない。ここでは、そうではなく、もう少し広い視野で、このトリエンナーレを続ける意義を考えたいと思う。それはある意味で逆説的だが、高い目標を掲げつつ、いかに民主的に地域と交わるか、トリエンナーレを既存の概念からどう読み替えるか、にかかっている。

Ⅱ あいちアートの森

 最初に振り返りたいのは、昨年十二月から今年三月にかけ、愛知県内の六会場で開かれた「あいちアートの森」だ。トリエンナーレと直接的な関係はないものの、この地域と現代美術のかかわりを考えさせられたイベントだ。美術作品は、主に美術館以外の会場、例えば、ビルの空き部屋、日本家屋、校舎などで展示され、会場も名古屋市の都心、周辺の中小都市、山間地、島など、各地に散らばっていた。よく知られている通り、この事業は、文化庁の「地域文化芸術振興プラン推進事業」というバラマキ施策によって生み出された。チラシなどには「市町村、地域の文化施設、芸術系大学と連携して、今後のアートによる地域おこしに貢献するとともに、県民の方々に現代アートへの関心を高めていただこうとするものです」と書かれている。だが、この惹句とは裏腹に、この企画は全体として、閉じていた。出品作家にとっての参加のインセンティブや、一部アーティストと地域住民との交流など、得るものがあったことは認めるものの、それでもなお、この事業は、年度末に予算消化のため道路工事を繰り返す行政のあり方と重なって見えた。
限られた準備時間で、膨大な作業をこなし、無事、展覧会を実現させたということでは、評価されてしかるべきかもしれない。にもかかわらず、この展覧会は、人に見せる気概を感じさせなかったし、結果として、バラマキにバラマキを接ぎ木したつじつま合わせでしかなかった。都心の会場で聞いたところ、土、日にもかかわらず、観客は十人、二十人程度。主催者側が用意したマップでは、どの作家の作品がどこにあるのかさえ分からない。遠隔地の会場が多いうえ、開場時間が「午前十一時から午後四時まで」などと短い場合もあった。同情すべき点は多々あるとしても、税金を投じるからには、少なくとも、シンポジウムなどを開き、この企画の趣旨と成り立ち、メッセージを県民に伝える義務はあるのではないか。大半の県民はこの企画の存在すら知らなかったはず。認知していたのは、かなりコアは現代美術マニアだけだろう。
 ここにあるのは現代美術界と行政のうちわの論理、欠けているのは民主主義社会においてあるべきアカウンタビリティーだ。会場で感じた空虚感は、実際の観客の少なさもさることながら、社会とのつながりを感じさえないあり方そのものに由来している。注意しなければならないのは、これと対極的な試み、例えば、あいちトリエンナーレのように、大量宣伝、大量動員を図る巨大事業をするだけでは、一見、物珍しさで集まった観客で賑わっているように見えても、結局は、観客である個々の人たちが、「祝祭」の雰囲気を体験しただけで、社会から疎外した見せかけ主義の構造からは抜け出せないということだ。

Ⅲ まちなか展の陥穽

現在は、創造されたものが次々と消費され、使い捨てされている時代であり、アートもその例外ではない。微分化を極めた若者の作品が回転速度を速めて横切っては消えていくというのが、偽らざる現実だ。「2000年以降、現代美術を扱った注目すべき展覧会が多く作品に対する積極的な評価を保留したうえで作品を紹介している点はきわめて暗示的」(尾崎信一郎「美術批評における最近の非確定的語調について」、『あいだ』173、2010年6月20日)との指摘にもあるように、展覧会における批評性の不在は、現在の美術状況とそのまま重なっている。作品を公共の場に展示する敷居は限りなく低くなり、若者の流行ものの寄せ集めと言えるほど、垂れ流しに近い状態に陥っている。国際展は美術館での展覧会とは異なるエンターテインメントなのだから、目くじらたてず、楽しめばいいという反論もあるだろう。だが、ドクメンタなどの国際展でも美術館の展覧会でも、しっかりした問題意識から企画が練られ、時代の画期となった優れた展覧会は、その時代の社会や文化状況、あるいは美術史と切り結び、歴史と向き合う挑戦だったはずである。
国際展や国際芸術祭を開いても、流行に振り回され、その時だけの単純な客寄せイベントや地域おこしの域を出ないなら、そうした大型イベント自体もまた消費されるだけだ。昨今、各地で開かれている、街中や自然の中での現代アート展は確かに楽しいものだが、その一方で気になるのは、作品と向かい合うには、あまりにその作品が、置かれた自然環境やそこに暮らす人々、町の風景や雑踏に寄りかかりすぎていて、個である「私」と個々の作品との関係が深められないまま、雰囲気に酔わされている点だ。そこでは、まち歩きや観光、田舎の美観、自然の癒しのような雰囲気が「主」で、作品は「従」。個々の作品と見る人との対峙とは別の雰囲気に支配されているのだ。これでは、作品そのものの力が十分に生かされず、楽しさもその場限りのものにすぎなくなる。雰囲気に酔わせるだけのアートは、その程度の関係以上のものを築き上げることができない(例えば、越後妻有アートトリエンナーレについて、武田友孝「里山で経験したこと、感じたこと」、『あいだ』166、2009年11月20日)。
「公」と「私」の二分法が成り立たない今、上から従来型のシステムを踏襲させるのではなく、トリエンナーレのような大事業を、来るべき社会のあり方、市民性や公共空間とのかかわりによって再構築し、新しいモデルとして、芸術文化による都市の広場(アゴラ)/ターミナルを創造することが必要なのではないか。トリエンナーレそのものが「公共圏」として「市民的アイデンティティを絶えず再構築していく作用」(姜尚中・吉見俊哉『グローバル化の遠近法』、2001、岩波書店)を果たせば、面白い。越後妻有は、癒しの田舎空間と、会場各所の地域住民と作家などとの強い紐帯が魅力となっている。他方、2005年の横浜トリエンナーレは、「市民による国際展」への幕開けを示したという(福住廉「市民芸術論的転回」、暮沢剛巳/難波祐子編著『ビエンナーレの現在』、青弓社、2008年)。また、現代美術を中心とした作品を媒介に、多くの市民に支持されている金沢21世紀美術館は一つの成功事例とも言える。これらをさらに推し進め、現代芸術が展開される、大都市の中の広場として、新たな公共空間をつくるとすれば、何を目指すべきなのだろうか。

Ⅳ 個と個の対峙

例えば、椹木野衣がヨーゼフ・ボイスの「拡張された芸術概念」に触れた文章を、一つの起点としてみよう。ここで椹木は、拡張を経て廃棄に向かう芸術概念、そうした芸術を原資にエネルギーが別の形で人々の間に移行していくあり方を、ロバート・スミッソンにも言及しながら論じ、こう締めくくっている。「未来の芸術の使命は、芸術を破壊することなく、それを原資に万人へのエネルギーの移行と配分を行うことで、それを廃棄する方向にきちんと向き合うことだと思う。それは、芸術をめぐるあらゆる特権を排することにも通ずるが、わたしたちの社会はいま、はたしてその方向へと向かっているだろうか」(『美術手帖』2010年1月)。
芸術を、人々にエネルギーを与える原資と考えると、トリエンナーレも、それ自体を費消することなく、そこに人々が集まり、芸術から得た力を「次」へとつなぐ広場/ターミナルとして機能させるべきだ。作品そのものが、人々の生活や生き方、地域社会に創発性を生むことでコミュニティーを活性化し、人々を孤独から救済するものであるべきだろう。作品と深く対峙する行為こそが、その個人を、生きることへの問いかけと、広く人間的な自己探求に向かわせ、ひいては、社会の新たな価値観を考えさせるのではないか。短期的な視野でのイベントの祝祭的な雰囲気や、パンチが効いた刺激的な作品に受動的に「触れる」あるいは「圧倒される」だけでは、人格も共同性を発展させることはできない。つまり、特権的なキュレーターが世界各地の国際展と代わりばえしない流行作家を集めて見せるだけの国際展から、その場に暮らす個々の人々が真に作品に向き合い、新たな生存の倫理と社会の地平を切り開く国際展、「私」が作品を通じて他者とつながることで「公」に開かれ、それが希望や共感を広げ、普遍性を探求できるような場としての国際展への転換が求められているのではないか。
その意味で、多種多様な文化的背景の作家や作品が展開される国際的な文化イベントは、これからの社会のあり方、人々のアイデンティティの問題と他者、民主主義と共生を考える意味で、またとない「公共性」への入り口となる。「公共性の領域とは他者が現前する空間であり、私的領域とは他者が奪われた空間」である(斎藤純一『政治と複数性』、岩波書店、2008年)。複数性をはらんだ不安定なアイデンティティの襞に分け入り、理性の自己同一性とアイデンティティの形成そのものを権力的と考える立場を重視するのであれば、多様で複雑に重層化した異質な存在である作家の存在、作品の文化的背景や政治性、人間の可能性そのものに観客が向き合う機会は、国際的な芸術事業に最も期待される役割の一つといえる。グローバリズムとその地域の新しい市民性が交差する公共空間としての場から、多様な芸術作品が発するエネルギーを贈与することにこそ、現代の病弊に苦しむ個としての人間に訴求しうる、開かれた現代芸術の可能性があると考える。

Ⅴ 個からコミュニティーへ

「日本における根本的な課題は、『個人と個人がつながる』ような、『都市型のコミュニティ』ないし関係性というものをいかに作っていけるか、という点に集約される」(広井良典『コミュニティを問いなおす』、筑摩書房、2009年)。トリエンナーレが、他者や異文化、あるいは市民性に覚醒する場、アートの可能性である新しい人間の方向性をともに模索できる公共空間としての場になること。越後妻有のような農村型コミュニティーでなく、基本的に独立した個がつながる都市型コミュニティーにおいては、個としての人と人の関係性が重要になってくる。「孤立」に代表される都市のさまざまな課題は、一時的な文化イベントでは解決せず、むしろ、持続性があってこそ外部からの人材やアーティストと地域住民との相互作用も、地域社会へのエネルギーの波及も起こりうる。
平田オリザは、劇場の機能を、「人の集まる場所」「総合的な社会政策の一つ」とし、そこで、生きがいを与えたり、人と人をつないだり、人間を孤立させないような取り組みをすることが大事だと強調している(中日新聞2010年3月12日夕刊インタビュー)。鈴木忠志も「『劇場』というのは『演劇』をやるところではなく、『演劇』というものを通じて社会的な事業を行う場所」(毎日新聞2010年2月5日朝刊)と述べている。芸術文化の場を、人が集まるコミュニティー、地域に働きかける社会事業の拠点とするこの考え方を国際展にも当てはめていくとき、トリエンナーレのイメージは全く違ってくる。外部のアーティスト、外部のスタッフを呼んで、その場限りを盛り上げる使い捨て型の方法では、社会資本としての文化環境の基盤、施設の潜在力も、社会関係資本としての人材も人的ネットワークも伸ばすことなどできない。
「不特定多数の個人からなる『都市』的な社会において、人と人とを結びつけるのは(あるいはその契機ないし入り口となるのは)、むしろ『普遍的な原理やルール』なのである」(広井、前掲書)。芸術文化を楽しみ、市民による公共空間を創出するという共通の目標のもと、さまざまな作家や文化と出会い、他者との差異を自覚することで多様性と地域性を尊重しあいつつ、それを超える人間の普遍的な価値を一緒にとらえ直していく機会が得られるようにすれば、そこにこそ、多様性をグローバルなレベルで見せる国際展の二十一世紀的な意義があるのではないか。
「一人ひとりの個人や集団が、決定過程に当事者として参加し、自ら納得していくプロセスであるといえます。そうだとすれば、まず大切なのは、そのような場自体を形成していくことです」(宇野重規『〈私〉時代のデモクラシー』、岩波書店、2010年)。これからの民主主義を模索する宇野は、動的な自己変革のため、他者との議論を通して、ともに創出する場をつくることこそ現代の課題だと説いている。人々が芸術を介して出会い、コミュニケーションを生むアゴラとしてトリエンナーレをとらえれば、そこに暮らす人たちが討議にかかわり、これからの芸術と社会のあり方をともに探求する場が必要なのではないか。
「公衆たらんとする限りにおいて、私たちは大いに音楽について語っていいし、語るべきなのである。音楽の少なからぬ部分は語ることが可能である。それどころか、語らずして音楽は出来ない」(岡田暁生『音楽の聴き方』、中央公論新社、2009年)。ここで岡田は、音楽文化にとって「語ること」が根幹ともいうべき重要性を持っていることを述べている。敷衍すれば、芸術を語り合うことは、その芸術を成立させる要諦ともいえそうだ。人々が芸術(家)に出会うのをきっかけに互いに語り合うことでつながり、芸術や地域社会、人間の倫理や生活空間に反映させることに思いを巡らす。そうして公共空間の機能不全を解消することが、これからの文化事業に求められるのではないか。現代芸術を市民性に接続させるプラットフォームの形成こそ重視すべきことは以前から、訴えてきた。プラットフォームは開かれた参加の場だが、目指す方向の具体的な青写真とスキームがなければ、つまり、場自体を形成する主体的な試みがなければ、一部の人たちの閉じた集まりで終わる。それが次なる課題だ。

Ⅵ 地域性を超えて

地方と異なり、人口が約七百四十万人もいて、美術系だけで三大学が存在してきた愛知県では、曲がりなりにも、これまで、優れたアーティストやギャラリーなどのスペース、アートNPO的な試みなどがそれぞれに活動してきた。それらは現代美術の発展に地道に注力してきたものの、単体としてできることは限られており、この地域の現代美術のインフラの底上げを求める思いを必ずしも望ましい形で実現することはできなかった。現代美術の広場/ターミナル、あるいはプラットフォームを形づくることを考えると、本来、こうしたステークホルダーが連携しつつ、広場を囲むように展開していることが望ましい。それらは、広場の周囲を点から面に広げるとともに、広場の活動を多面的に支え、広場自体の領野を広げて活力を与える。人々も、そうした活動の結び目が広場の周囲に多数あることで芸術と社会のテーマをより広範な問題意識でとらえ、参加しやすくなる。
この地域では、過去にはムラ社会的な足の引っ張り合いが多く、こうした連携がうまくいかなかったのも事実だ。ただ、自由、オープンなプラットフォームといっても、私見では、それだけでは、トリエンナーレを支えるばらばらの担い手は存在しても、多世代をつなぎ、持続的な力にしていくのは難しい。平田オリザや鈴木忠志がいう「社会政策」や「社会的な事業」を思い起こせば、当然、文化や芸術にも社会保障などと同様、公共的な部分と自由な民間の競争の両輪が重要なのは言うまでもない。特に、トリエンナーレが三年に一度ということを考えれば、トリエンナーレとトリエンナーレの間をつないで、日常的に人々に働きかけるとともに、次のトリエンナーレを準備する面的な展開、いわば、民間的な活動と公共的な活動が連携しながら連なる展開が欠かせないと思われる。
既に二回目のトリエンナーレを見据え、この地域が連携を深めるには、湯浅誠が社会運動について触れた論考「社会運動と政権 いま問われているのは誰か」(『世界』2010年6月、岩波書店)が参考になる。湯浅はこの中で、政府によって何かが動き出すとき(ここでは、例えば、新たにトリエンナーレが始まるとき)、社会運動(ここでは、現代美術などの地域の利害関係者の活動など)は意見が対立し、分裂していくのが常だという。実際、名古屋でも、さまざまな現場の先駆的な活動がそれぞれに現代美術の歴史を刻んできたものの、その多くがある時期が来ると終息し、それらが連携を深めて「公共」の領域に到達することはほとんどなかった。しかも現代美術の現場にいる人たちは、専門知識や考えをそれなりに持っているのだが、全体の県民からみるときわめて少数派であるため、一般の人たちとの認識のギャップはとてつもなく大きい。
「(かつては)現代美術の盛んな地域」などと言われながらも、実は現代芸術の基盤が積み上げられず、鑑賞者が育っていないこの地域で、あいちトリエンナーレが、娯楽的なイベントになるのは当然かもしれない。それが、トリエンナーレに対して大義がない一般の市民、県民の声ならざる声を反映したものなのだから。多くの一般県民の参加こそが目指すべきものだとはいっても、彼らの大義のなさ、純真さは、そのまま飽きやすさと裏腹でもある。彼らが一時的にトリエンナーレを盛り上げてくれたとしても、ただちにそれを深め、継続・発展させる方法論は持ち合わせておらず、プラットフォームといっても、そういう形では脆弱なものにならざるを得ない。逆に、大義(人によっては、エゴや偏向した考え、ムラ社会的なボス意識もあるのだが)がある現代美術の関係者などの中には、自分たちが今回のトリエンナーレから外されたとして、ルサンチマンをかかえている人もいるように思える。
必要なのは、現代芸術に関心を持つ鑑賞者層を育て、それらをつなぐ中間領域によって現代芸術の「社会」に厚みと広がりが加わることだ。それには当然、スキームが必要である。大義を持ちながらも閉鎖的にならず、妥協しながらもプロセスを踏み、トリエンナーレを継続しながら、より良いものに改革していく実践的な道筋である。湯浅は、自ら貧困と闘う達成目標について、「短期・中期・長期に整理することを常に共有することで、運動体間の連帯を維持できないものかと考えている」(湯浅、同上)。現代美術、あるいはすべての芸術分野において欠落しているのは、連携できる健全な「社会」ではないだろうか。多くの立場の人たちが、顔を合わせて熟議し、溝を埋め、課題を整理しながら、将来のあるべきその地域の芸術と社会のあり方を考える場だ。そのために、偏狭な自分の主義主張に自己を同一化しすぎないこと、違いの強調より共感による協働へと発想を転換する必要があると湯浅は説く。
結局、トリエンナーレそのものだけでは、何も変わらないだろう。時間をかけて、インフラを積み上げ、作家、NPO、鑑賞者、ボランティア、批評とメディア、画廊、アートセンターと美術館、アーカイブなどがネットワーク化した「社会」をつくるしかない。地域のしがらみも、こう考えると、プラスに転ずる気がする。

Ⅶ 組織から考える

あいちトリエンナーレを続け、それを核に、民間セクターが競い合い、連携しあってこそ、愛知が現代美術(芸術)のインフラを備えた魅力的な都市になりうる。そのために、筆者が提案するのは、トリエンナーレを主催する組織の持続可能性を担保するとともに、全国で最大級の複合文化施設である愛知芸術文化センターの機能と組織を再構築しながら、民間セクターとの連携を膨らませていく方向である。
もし、あいちトリエンナーレが今後も、「複合性」のテーマを追求するなら、それを、そもそも芸文センターが愛知県文化情報センターを中心に担ってきた「複合性」と今一度連動させ、持続可能な現代芸術の広場/ターミナルの実践の場として、芸文センターの可能性を広げていく必要があるだろう。センターが中核的な役割を果たすには、文化情報センターと国際芸術祭推進室を一体化させるなどして、ネットワークの中心的な役割を果たす組織をつくり、芸文センター内の他組織である美術館や愛知県文化振興事業団などとの結節点になるのが、望ましいのではないか。トリエンナーレを継続させ、併せて、愛知県の現代芸術の実践的な文化政策機能を高めるには、この文化情報センター/国際芸術祭推進室が現代芸術全体にかかわる文化戦略を担い、通常の施策部門とトリエンナーレの実行部門をつなげていく必要がある。
トリエンナーレを一過性のイベントとしてとらえること、それはイコール、愛知芸術文化センターを改革せず、放置することにもなる。ここで、文化政策として、戦略論と組織論をつなげる方策とは、トリエンナーレと芸文センターを一体化して再構築することである。それは、トリエンナーレをこの地域の市民社会の中に構造化し、芸文センターが「芸術社会」の中核的広場となって、この都市のあり方を変革していく構想をも胚胎させるだろう。外から来たアーティストやスタッフに頼るだけなら、それによって何かが変わるなどと期待しない方がいい。祭りが終わり、彼らが去れば「つわものどもが夢の跡」である。むしろ、コミュニティーを駆動させ、芸文センターを中心に多面的、同心円的に活動が広がる方向を考えたい。芸術を介したコミュニティーが面白くなれば、文化的な都市としてのホスピタリティーも増す。閉じた世界から一歩を踏み出すには、外部性のメリットを広げ、閉じたサークルから脱皮する必要がある。

Ⅷ 結びにかえて――大人の芸術社会を創る

パリ・ポンピドゥーセンターの研究開発ディレクターで、フランスの哲学者のB・スティグレールは、マーケティング中心の社会が文化の単純化、画一化を招き、大人を「幼児化」させたという(B・スティグレール「二〇世紀型『消費主義』が終わった」、『世界』2010年3月号、岩波書店)。若者の作品ばかりをマーケティング的に(一時的に)もてはやし、一般的に「大人」の支持を得られない構造的問題を内在化させている日本の現代美術界も、こうした指摘と無縁ではない。現代美術のギャラリーのオープニングなど、アートの現場には、若者ばかりが集まるだけで(一部の芸術愛好者やコレクターもいるが、数は少ない)、普通に働いている層の大人が楽しんでいる姿を見るのはまれだ。
制度としての「アート」の閉じた世界から、大人たちの現代芸術のコミュニティーへと、変換を図る必要がある。経済活動を、共同体に生きる人間の安定した生活を基礎づけるものとしてとらえる内田樹は「人間が共同体として気持ちよく、効率的に生き、かつ人間が共同体の一メンバーとして、互恵的・互助的な関係を取り結ぶことができるような市民的成熟を果たす」方向に向かわせるものこそが、経済活動だと説く(内田樹「大人になるための経済活動」、『atプラス03』2010年2月、太田出版)。市民性を育て、大人が芸術を楽しみながら社会を変革できるようなコミュニティーを目指そうと考えるとき、投資的なマーケット主義が美術の中心になっている現在は、その根底にあるべき経済の考え方、美術と人間、美術と社会とのかかわりが、あまりに貧困になっているともいえる。短期的視野のビジネス主義とイベント主義は、共同体や地域を育てるという時間的な流れを遮断する。
個人を公的領域へとつなぎ、「芸術社会」をつくるための広場を構築し、アートをこの地域で社会化する。文化の多様性、複合性をうたうトリエンナーレを、ぜひ他者への共感と連帯を生み出す契機にしてほしいものだ。私自身、長年、新聞社の美術記者などとして、現代美術を末端で楽しんできた一人だが、名古屋の現代美術の状況を振り返ると、発展というより衰退してきた感を強く持っている。このトリエンナーレさえ、後に何も残さないとすれば、こんな悲しいことはない。

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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