Gallery NAO MASAKI(名古屋) 2019年5月18日〜6月2日
Gallery NAO MASAKIの佐藤貢さんの個展は、新作のシリーズに旧作を加え、見応え十分だった。自分の元に流れ着いた、あるいは、たまたま出合ったおびただしい「ゴミ」をブリコラージュのように集積させていく。釣り糸、流木などの海の漂流物、自転車のスポーク、テーブルなどの都市の廃棄物といった、ありあわせのゴミの集まり。何か分からない物さえもが蝟集し、静かに息づいている。
個展のタイトルは日本語で「百八つの十字架」。一階には、その「108 Crosses」という名称がついた連作が展示されていた。メーンとなるインスタレーションは、2016年に名古屋の電気文化会館で発表し、今回、新たに別の作品として組み上げている。天井にも達する大きな作品は、展示空間によって、様々なバリエーションを展開していくコンセプトである。
全体がピラミッドのような形にも見える作品の素材の多くは廃材、流木、あるいはもっと細かなゴミのような物で、それらを組み合わせた大小様々な一つ一つがあらくれた十字架になっている。その数は108個。つまり、この大作は、108個の十字架が積み上げられた塊である。全体は構築物と言うにはあまりに脆く、開放感があり、かといって決して空虚ではなく、先住民族の内的世界を表出した創造物のように、プリミティブながら確かな存在感を放っている。十字架の中には、人形に見えるものがあるなど、表情豊かだ。一部は少し離れた壁に掛けられ、また別の一部は塊からはぐれたようにポツンと床に配置されている。
今、「人形」と書いたが、十字架の一つ一つを人間の姿にたとえることもできるかもしれない。この作品には、芥川龍之介の短編小説「蜘蛛の糸」のイメージが重ねられている。地獄に落ちた盗人カンダタが過去の善行ゆえに釈迦が下ろしてくれた蜘蛛の糸を登って地獄から逃れ出ようとするが、下から続く罪人たちを助けず、自分だけ助かろうとしたばかりに糸が切れ、再び地獄の底に落ちてしまうという、あの有名な物語である。とすれば、この十字架を地獄から光を求めながら潰えた現代の群衆と見ることもできるはずである。
なぜ、ゴミなのか
「108 Crosses」は、佐藤さんが2016年に始め、制作の中心に据えて続けている連作だ。打ち捨てられた廃品、どこからともなく流れ着いた流木をクロスさせた十字架。その集積によって新たな役割を与えられた切なくも美しい創造物は、危機と破壊に直面し、混迷を深める現代を映し出している。
なぜ、佐藤さんは漂流物や廃棄物を作品に使うのか。これまでも、廃材やゴミ、漂流物を素材とし、環境的、社会的なメッセージを込めたり、素材の来歴、記憶といっていいものをテーマに据えたりする美術家は多くいた。でも、佐藤さんの作品は、それらと一線を画する。これまで歩んできた彼の来し方のほんの一部分を聞き知っただけなのだが、その作品世界は、周縁を彷徨いながらなんとか生きている佐藤さんの存在と、繊細な感性そのものから生み出されるものであって、内奥にあるのは現代の混迷の中で打ちひしがれて生きる弱い人間へのある種の共感、慈しみであろう。佐藤さんは、日常の中で汚れたみすぼらしい廃棄物や漂流物を眺め、そこに自分自身を投影し、無意味に見える態様の中にこそ輝く、ささやかだが美しい光源を見つめているのではないか、と思えるのだ。
佐藤さんは言う。
「目の前には混沌とした世の中があるように、その混沌は自分の中にもある。世の中では役目を終えて、捨てられて、見向きもされなくなったもの。そういうものこそ、自己の意識を投影する鏡のような存在であるように感じている」。
シリーズタイトルになっている「百八つの十字架」という言葉は何とも不思議な違和感を感じさせる言葉だ。百八つというのは、仏教の百八の煩悩からきていて、ここでは、仏教とキリスト教がジョイントしている。また、佐藤さんの作品に重要な要素として音があるが、別の作品で流れているノイジーな音響の中には、イスラム教のコーランを加工したものがある。こうした異教の要素が混在する展示は何を意味するのか。佐藤さんは、「宗教を背景としたものではない。信仰心もないし、思いつきに過ぎない」とはぐらかすのである。
アジアを旅して
佐藤さんは1971年に大阪で生まれ、関西を転々として過ごした。「自分って何だろう」「どうして自分って存在しているのか」「自分は何をしているのか」。そんな思索は、幼い頃から染み付いたものだった。
小さい頃から美術が好きだったというものの、早くから美大を目指すことはなく、アカデミックな受験準備をすることもなかったが、天才肌なのか、当時描いた油彩画には力がある(小さな画像で見ただけだが)。縁あって、大阪芸大に入学。本人から聞いたそのころのエピソードの数々は、破天荒極まりない。日雇いの仕事をしながら絵画を描くも、一年で中退。悶々とする中で、突然の閃きのように、初めての海外旅行を敢行する。二ヶ月分の家賃を払って、ほとんど下着の替えぐらいのわずかな荷物で日本を脱出。中国、インド、ネパール、パキスタン、チベットなどを遍歴する。
あてどなく、行き当りばったり。目的もなく放浪する中で、生死に関わるトラブルが続くが、鬱々した気持ちを抱えながら旅を続ける。「自分って何だろう」。同じ問いの周りを回り続けるように逡巡するが、バックパッカーの自分探しのような旅を続けても答えが出るはずはない。ただ、異国の地をさすらう中で、人間や自分自身への根源的な問いかけはより深く強くなっていったはずである。この旅が彼にとって重要なものだったことは間違いない。それは、自然環境や国、民族、宗教、言語や文化、貧富は違えど、同じ地球に生命を受けた人間の変わらぬあり様、望む望まざるを問わず、それに気づく気づかざるを問わず、大きな流れに漂うように生きる、脆く、でも、いとおしい人間の生の営みへの共感は捨て去れなかったということではなかったか。
受動態の人
鬱屈を抱えたまま帰国した後、心のコンディションを崩した時に声をかけてくれた友人がいた和歌山市に移り住み、すぐ近くにあった海岸で漂流物という素材に出合うことになる。和歌山にいたのは13年間。2010年に名古屋に移った後は、素材が流木から、都市の廃棄物に変わったものの、自分の元に偶然、たどり着いたもの、誰もが見向きもしなかった、見捨てられたものを拾い集め制作する姿勢は続いた。
聞くと、佐藤さんは、パソコンもスマホもテレビも持っていないという。自宅にあるのはラジオだけ。これとて、何か信念があって物質的生活を忌避している、というよりは、若い時から持ち合わせていなかっただけで、そのまま流れるように生きてきた中で不便を感じたことはないと言うのだ。自らが漂流物のように何事にも拘泥することなく生きている。諦念でもなければ、悟りでもない。あえて言えば、それは「受け身」というものだ。
受動態というのは、主体性のある能動態に対して、ネガティブな性質として受け取られるけれども(最近は、中動態が注目されているが)、佐藤さんは徹底的に受動態の人である。見捨てられたものを引き取り、極めて平和的に穏やかに日々を過ごし、また、その日暮らしで計画性、論理性はほとんどない。ましてや、戦略的に世界のアート市場に打って出るというタイプのアーティストでは毛頭ない。というより、それもまたおそらく、受動的であるのだろう。
ただただ、内面によどみを作らず、流れに身を任せ、落ちこぼれたもの、流れ着いたもの、打ち捨てられたものから、わずかな意思として、何かを選び取り、美しく打ち震えるような作品に造形化する。
繊細でセンスが光る造形
そのほかの作品もセンスが光っている。おそらく粗大ゴミとして捨てられていたと思われるテーブルの金属製の骨組みを使って、自転車のスポーク、釣竿の破片、ワイパー、傘の骨などの廃棄物で作った十字架をやはり108個吊るした作品がある。そこに吊るされた十字架もまた、人間を想起させるものだ。多くの人間が宙に浮く光景で思い出したのは、類まれな映像美で知られるテオ・アンゲロプロス監督の映画「こうのとり、たちずさんで」(1991年)の一場面。国境を越えられない難民たちがたるんだ電線を修理するため、電柱を登っていくあの美しくも儚いシーンである。彼らもまた深い悲しみを抱え込んでいる。
他にも、いくつもの小瓶の液体の中に納められた小さな108個の十字架、LPレコードの袋の片隅に寄り添う108個の十字架、壁に凝集するような108個の十字架。大小様々な十字架からは、脆く弱い人間のありようと、佐藤さんがこの世界に見る混沌を感じ取ることができるだろう。
「どうして、こんなものを作っているんやろ」。佐藤さんは、明確なビジョンに向かって制作しているわけではない。自己への問いかけのセンサーを深く自分の中に沈潜させながら、制作を続けているだけだ。
普遍的な人間存在への慈しみ
用無しと選別され、捨てられた物、どこから来たかもしれない漂流物、そうした最も取るに足らない不要物からしか、彼は作品を作り得ないのだと思う。それは、ゴミが美術品になるという価値の転換なのかもしれないが、そうしたアートの作法に従ったわけでも、社会的メッセージを発したいわけでもない。イデオロギーや社会経済制度、国家体制、民族や宗教など、あらゆる差異は対立を生み、悲劇を招いてきた。そうした区分けに頓着することなく、また、難しい思想を語ることもなく、最も慈しむべき不要な存在を自然体で受け入れ、作品に取り入れる。受動態のように流れるままに、そう、自分も流木と同じ漂流物のごとく流れるように無常なる日々を生き、作品を編みだす。そんな佐藤さんの姿には、お金と効率、利便性を追い求め、日常の破壊と混沌、対立、エゴイズムへと至った現代への声高な批判はなく、ただ、そうした世界との違和感の中で、取るに足らない物への慈しみを忘れないでいるだけである。
日常の中で、この最大限の慈しみを何気なく繰り返していることこそが、ほとんど無意識に人間の最も大切な普遍的な淵源から世界を眺める祈りにも似た営為のように思えてくるのだ。